コンピューターと笑いと曖昧さ

『思考の整理学』読んでいて、コンピューターに代替される日が来る、という話があった。昔の話なのにすごいね。

これに対して、エンタメなら人間出ないと無理、と思ったのだけど、よく考えたら、攻殻機動隊のタチコマなんかを想像したら、おじいちゃんの相手しながら、介護施設かどっかで働いて、バトーさんに好かれるという八面六臂の活躍をしている。

そうすると、残るのは「曖昧性を受け入れ、逆に信じてもらう(7つの習慣的にまずは相手優位の書き方)」能力が最後まで残るのかなあ、と。
論理的であることが求められるなかで、結局のところ曖昧性、説明できないものを信用してもらったり、信用したりする胆力みたいなところに落ち着く気がする。おそらく落合陽一さんあたりがすでに考えているだろうけど、ふと考えてしまった、そんな夜でした。

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