選択的夫婦別姓の議論は⚪︎か×かではない

選択的夫婦別姓についてこんな記事が。

選択的夫婦別姓の議論、賛成or反対の二元論で語られがちだ。ただ、この議論でたぶん1番多い(というか他のあらゆる社会的問題でもおそらく1番多い)意見は、たぶん、「どちらでもよい」だ。つまり、賛成or反対orどちらでもよい、ということになる。
ただし、こと選択的夫婦別姓の議論においては、この「どちらでもよい」あるいは、「どうでもよい」「興味がない」は、別姓でもいいし、別姓じゃなくてもいい、と読み替えることができると思う。他人に興味がないということは、他人の名字がどうであろうが知ったこっちゃない、ということである。
つまり、選択的夫婦別姓の議論は、反対、つまり全員強制的に同姓にしろ、という以外はすべて別姓を認めても良いということになる。×か、それ以外か、なのである。

それにしても、上記の件、一体どういうことなのだろうか。個人の選択肢なく、全員が強制的に同姓にしろなんてどう考えても余計なお世話だ。記事の中にこんな文がある。

子供の姓をどちらにするのかで家庭内で混乱や対立が生じる事態などを危惧

本当にそういうデータがあるのだろうか?
同姓にすることでこれらの問題は解消できているのだろうか?
そもそも国際結婚は別姓が認められているし、男女ともに通名を名乗り続けることができる今と、別姓を認めることには何か変わりがあるのだろうか。仮に変わらないのであれば、この方々は人々の選択肢を増やすことをなぜ阻止できるのだろうか。

もうなんというか、バスタオルはお風呂に入った後、毎回洗った方がいい、その方が家庭が円満にいくから、絶対そうした方がいい、全家庭漏れなくそうした方がいい、みたいな。法律で全家庭お風呂に入った後バスタオル洗うことにしましょう、みたいな。そんなことを言われている感じだ。なんなんだこれは。。

そもそもこういう議論のトップにあえて女性を持ってくる狙いにも嫌気がさす。まぁ、自民党憲法改正草案をみるかぎり、古い家庭の在り方の素晴らしさを再認識させよう、みたいなことはもはやポリシーなのではあるが。。

かといって裁判所は最近まともに取り合っている感じもないし、日本で選択的夫婦別姓が認められるのはいつになるのだろうか。

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