日本のリベラルが終わった日

安倍元総理が殺害された。
本当にあってはならないことが起きた。
これだけは絶対にあってはならなかった。

犯罪という点ではもちろんそうだ。当たり前にそうだ。あってはならない。
ただ、もっと深い意味で、今日、日本のリベラルは終わった。
今回の事件に対して、民主主義への冒涜だという。そう、たしかにそうだ。

ただ、ただ、自民党政権下で民主主義は存在したのか。
数多くの闇に葬れた偽造、改竄。
日本のリベラルにとって民主主義というものは既に存在していなかった。特にこの15年、20年、存在してこなかった。
リベラルの唯一とも言っていい武器が、民主主義であった。

今日、その民主主義という武器はリベラルの手を離れ、自民党の強力で揺るぎない武器となった。

安倍晋三の殺害、この意味するところは想像を超えるだろう。犯人が外国籍であれば、戦争も考えられた。
少なくとも、参院選の自民党の圧勝と憲法改正までは既定路線になるだろう。

「家族」というまとまりがより一層強化され、かつて安倍氏の進めていた教育再生会議に始まる教育基本法や教科書改訂、その他教育にも更なる影響が及ぶだろう。
政財界や財閥、一部の大企業はこれからも優遇を受け続けるであろう。

自衛隊の明文化と集団的自衛権の放棄、9条改訂。
自民党の憲法改正草案の実現。
基本的人権の影響も計り知れない。

日本のリベラルは間違いなく転換点を迎えた。
自民党内部の左派も、少しずつ淘汰されていくであろう。

安倍氏は絶対に殺害されてはならなかった。
逮捕されるべきであり、殺害されるべきではなかった。
安倍氏は神格化され英雄視されるであろう。

日本のリベラルは今はじっと耐えるしかない。耐え続けるしかない。
それでもなお、民主主義に則った方法で、民主主義を訴え続けるしかない。
自分の思想と自分の身を、自分自身で守るしかない。

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