給特法をめぐる議論の「理想」と「現実」と「進め方」

田中まさおさんの裁判に加え内田良や西村ひでみさんの署名で問題が大きくなっている給特法について、議論がわれている。
が、賛成か反対かの二項を煽るようなものばかりで適切な議論が組まれていない。そこを考察したい。

給特法をめぐっては、数十年にわたって教員の業務のなかに「人件費」のコスト部分を度外視してきた土壌を作ってきた。残業代の代わりに4%支払われているので、何かの施策をするときに、「教員の残業が増えるかもしれない」というのはこれまで考慮されてこなかった。これが長い間蓄積された結果、行政側にとって教員の残業が増えても痛みを伴わない構造が生まれている。教員はタイムカードを切ってから仕事をする、教科書を持ち帰って家で教材研究をするのは日常茶飯事だ。これは、残業を正確に申請しても管理職から怒られるだけで意味がないことも一因として大きい。管理職にとっても、「残業をへらしてコスパ良く働く」ことよりも「とにかく色々やってくれる」人の方が重視されてきた。今は行政側で残業の上限時間ガイドラインが定められているが、罰則はないし誰の財布も痛まないので意味はない。過少申告しつつ、学校のことを頑張ればいいだけになっている。

給特法の改正は、そんな構造を見直したいという運動(のはずだ)。残業代がほしいだけ、という人は実はそんなにいないだろう(もらえるなら貰いたいという人は多いだろうが)。
ただし、反対意見もある。大きく2つ
・教員の業務は時間管理になじまない
・そもそも財源で賄えない

ひとつめ、時間管理になじまないについては、たしかに教員の業務は終わりがない性質のものもある。ただ、だれがどうみても「やらなければならない」ことだけで時間を超過している。田中まさおさんの裁判では「教材研究は5分」などとめちゃくちゃな意見が出たが、そうでも計算しないと時間のカウントに収まらない。つまり、なじまない云々の前に「やらなければならないことだけ」で教員の業務は時間内に収まらないのは明らかで、なじまない「裁量」の部分は、いわば「残業の残業」の部分だ。ここにケチをつけるなら、全国の教員のコマ数を調べてみたらいいだろう。教材研究を5分でやって生徒の主体性を促す教育ができる人がいたら連れてきてほしい。

ふたつめ、そもそも財源で賄えない。これはそのとおり。議論するならこの部分。だから、給特法の議論は財源の議論とセットだ。現実論を言うと、全額残業代を支払うのは無理だろう。だから、財源確保もしくは「給特法を残す代わりに残業代まではいかずとも教員の業務の一部を別の人に委託するための委託費として換算する」必要がある。具体的には一つめの「教員の裁量にあたる部分」を調査して換算し、その分の金額を「清掃委託」「学童委託」「スクサポ」「教職員定数」などの人件費や委託費に充てていく。それでも数百億とかにはなるだろうが、それくらいの財源確保はしなければ教員の業務改善が進まないのは明らかではないか。

給特法の議論は、働き方改革のための財源確保との調整の中でおこなわれるのがエビデンスを持ち込みやすく筋が良いように思うがどうであろう。法改正という強力さをもって財政側に緊迫感を持たせることは必要なので、給特法改正の議論が大きくなるのは良いことだ。
ただし、⚪︎か×かではなく、現実や条件と照らし合わせた落とし所も探る必要があるだろう。

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