見出し画像

失敗だらけの私のマネジメント初期。体験的から。営業マネージャー、営業マネジメントって具体的に何をするかの話②

最初のプレイングマネジャーの時、与えられた部下は4人でした。ここからが私のマネジメントのスタートでした。

まぁ今から考えたら、熱いだけ、熱苦しいだけのマネジャーだったと思います。

28歳でしたから熱苦しくて当然です。でも加齢臭はないので、その爽やかさだけでいけるのです。そして部下も若いです。年齢差はそれほどありません。

だからマネジメント力が皆無でも、何も持ち合わせていなくても

「行け!!! やれ!!!進め!!!!」でいいのです。
「行ってこい!!!やってこい!!!!」で良いのです。
又は
「頼んだよ〜 頼むよ〜 」 だけで良いのです。

今はこれを「やれ!行け!上司」って言うらしいですね。笑

今から思えば恥ずかしいですが、私もそうだったと思います。でも時代も後押ししてました。1996年は住宅着工数が歴史上最高の160万戸を超えていました。

お客様は今から考えればウジャウジャいらっしゃったのです。今や住宅着工数はその半分の80万戸ちょっとです。

多少、目の粗いマネジャーでも、目の粗い営業でもなんとかやっていけたのです。

でも今や時代が変わり目の粗い網ではお客様はスルッと逃げてしまう、部下もするっと転職してしまうのです。もう熱い部下はいません。

お客様がたくさんいたというのは恵まれた環境でした。なぜならたくさんお客様が失敗をさせてくれる、ケーススタディーをたくさん与えてもらえるのです。

私が決して優秀だったからではなくて今から考えればお客様が私を育ててくれた

今の時代の人はその意味では可哀想です。失敗出来るほどのケーススタディーがない。

失敗が許されないからです。ですから熱苦しいだけでは何も伝わらないのです。

熱苦しい上司は今の時代要らないのです。勝手ながら。笑

でもまだ皆さんの周りにはいませんか?
「やれ行け!それ行け!上司」が。

居たらワシントン条約で絶滅危惧種甲類として保護してあげてください。笑 

よくここまで生き残ったと。

この頃よく私の上司から様々な事を教わりました。本当に上司との出会いは人生を変えると今も思っています。

会社に入ってどんな先輩、上司と出会うかでその人の人生まで左右すると言っても言い過ぎではないと思っています。

上司から言われた言葉は今も耳に残っています。

・もっと目線を下げて部下と接しないと部下はついてこない。

・自分が出来る事を部下が必ず出来るとは限らない。だからその位置にお前が居る

・仕事とプライベートの比率が6:4 4:6にはならない。常に5:5 両輪でしかない

・お客様に嘘をつくぐらいならこの仕事はしない方がいい

・お客様に対して卑屈になるな。営業とお客様は常に五分五分

等々

後輩に印象残る言葉を残せるか。これもマネジメントですね。

次回へ つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?