ホラーはトイレに中に
低予算で映画を作るとなると、外せないジャンルがホラー映画。
ストーリーやキャストよりも、いかに新しい手法でお客さんを怖がらせるか。これがホラー映画のミソだときいた。
ホラー映画には「とにかくホラーと名付けば、全部見る」という熱狂的なファンがたくさんいて、数百万円の低予算でつくっても、当たれば興行収入何億円と大化けするのだそうだ。それがお化け映画といわれるゆえんか。
つくればいいのに、となんどか勧められた。
しかし、ぼくはホラーとかオカルト映画はいっさい作りません。
だって、こわい。
当然のこと観たこともないし、これからも観るつもりは、まったくない。
ただ、一本だけ。
人生で唯一観たホラー映画が、1973年の「エクソシスト」。
それだって観たかったわけじゃない。
ぼくは「燃えよドラゴン」を観に行ったのだ。
ところが、ぼくの住んでいた田舎の映画館では、封切り作品でも2本立てだったわけ。
「燃えよドラゴン」だけを観に行ったのに、ブルース・リーだけでよかったのに、同時上映が「エクソシスト」。
ありえんでしょうが。
しかも、「エクソシスト」のほうが先に上映されちゃって、それを観なければ「燃えよドラゴン」にたどり着かない。
「エクソシスト」の上映中、ずっと目を閉じ、耳をふさいでましたがな。それって観たっていわないか。
ま、それ以来40数年、ぼくは一本もホラー映画には接しておりません。
世の中には霊感というのがやたら強い人がいて、ぼくの周りにも幾人かいる。
「あ、いる」
とか、
「こっち、見てますね」
など、いきなりつぶやく。
フザケルナ!?
な、なんにもおらんではないか!
ぼくはまったくそういう感覚がないので、すこぶる平和に生きているけれど、時おり心臓が破裂しそうなほどの恐怖を味わうこともある。
トイレでうんちをしてたのさ。
いつになくすっきり快便、気分よく立ち上がった時さ。
ジャーっと流れるはずの水洗の音が、なんか変。
振り返りのぞき込むと、洋式トイレの水位がもりもり上がってくるではないか!
つまってる。
排水管がツマッテル。
ツマッテオリマスヨ。
おしっこならまだいい。
うんちですよ。便器から勢い良く流れる水流にうんちは砕かれ、撹拌されて便器の中はもうカオス。
土石流のような茶色の汚水がうずまきながら、どんどん盛りがってくる。
あふれる。あふれてしまう。
頭のなか真っ白。
このままでは、うんちにおぼれてしまう!
いかん。オチツケ。
どうするんだ。排水管に手を突っ込め。
自分のうんちだ、我慢しろ。
でも、やっぱ、ためらいが。
どんどん盛り上がる汚水をみれば、未消化の人参がぷかぷか見える。よく噛んで食べなきゃ。
いやいやいや、そーじゃない。
違う。手を突っ込んでも、ぜったいに指は届かない。
なんか、こう、針金よりも太い、曲がる棒のような…そんなもの、あるかい!
など、パニックになると訳のわからん思考が跳ね回るもんだと初めて知りました。
秒速の勢いで水かさは増していく。
なんというのでしょうか、よく映画の中で、水攻めされた主人公が天井で空気をもとめて喘ぐ。あの感覚に襲われましたわ。そして、もうダメだと思った時、映画の中では水が止まる。間一髪セーフ。
しかし現実は映画みたいに都合よく進みはしない。
あかん。為す術なし。
そういうとき、自分がどんな行動にでるのか、これも初めて知りました。
祈る。
神様に祈る。
嘘ではありません。本当に無意識に両手を組んで、祈っていましました。
祈るって人間の本能的行動なのか。
それでもおかまいない人参は、クルクルまわりながら、便器のフチにせりがってくる。
主よ、なぜ、あなたは黙ったままでおられるのですか?
奇跡を―。(マジ祈り)
と。
…水流の音が止まった。
息も止まったわ。
ほんとにギリギリ。便器いっぱいのところで水は止まった。表面張力で水面は盛りがっている。が、外にはあふれていない。奇跡は起きたのだ。
本気で信仰の道に入ろうと思った。
数時間後、やってきた修理の方が救世主にしか見えなかったことは云うまでもない。
それで思いついた。
こんな日常の恐怖体験こそが、おとなのホラー。
最重要会議のあるという日、よりによって寝坊をする。あの目覚めたときの時計の針を呆然と見つめ、湧き上がってくる絶望感。
必死の思いでゴキブリを追いつめた瞬間、奴らが羽を広げ、飛んでこっちに立ち向かってくる恐怖感。
はっきりいって、この怖さは霊などのレベルではない。
寝坊した朝は、大人であっても「どこでもドア」を渇望するほどでしょ?
おとなのホラー体験、エピソードの募集をしちゃおうかしら。
こういう日常の恐怖感が満載にしたホラー映画って、いかが。
蛇足。
実は先日「エクソシスト/ディレクターズカット」を観ました。
相棒のキャメラマンに「どーしてもあのショットは観て欲しい」とせがまれて、泣く泣く。
かなりビビりながら観たんですが、意外や意外、ただのオカルト映画でなかったことを、40数年目にして知りました。
ホラーの要素はたっぷりですが、悪魔祓いを行うカラス神父の人間的葛藤と内的変化が描かれた秀作でした。
ウイリアム・フリードキン監督はドキュメンタリー出身の監督なので、そういった視点もあったのでしょう。前年には「フレンチ・コネクション」を発表されており、あの映画の空気感が大好きなので、「エクソシスト」につらぬかれた視線にとても納得ができました。
(2017年1月14日記)
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