世界を変える3つのモノ
人生、願ったとおりにはいかない。年齢も経験などもいっさい関係ない。
ぼくら兄弟が作った映画2本は自主独立の製作。誰からも求められず、自分たちが作りたくて作った。だから資金もすべて自分たちで捻出した。
映画界で働いた経験もなければ、知人、人脈一切なし。素人だ。やめろ、と何度も言われた。
周囲が引き止めた理由は、作り上げたあとになってわかった。
「映画は作るより、見せるほうが何十倍も難しい」
どんな商売でも同じ。悪いものは当然売れないが、いいものであっても売れるとは限らない。
流通という仕組み。宣伝という、不確かでも絶対必要な投資。
それにあたるものを映画界では「配給宣伝」という。その費用は、製作した費用と同額、またはそれ以上かけるものと教えられた。
そんな資金などない。方法さえわからない。配給宣伝を担う会社もまったく知らない。
バカ正直に、映画館に電話をかけた。手当たり次第にかけた。当然ながら、ことごとく断られた。やっと1館、支配人が映画を試写してくれて上映が決まった。映画完成から2年経っていた。
次は宣伝だったが、これまた当然、無名の素人などメディアはどこも相手にしてくれない。
チラシを手配りすることにした。
初日の1週間ぐらい前から劇場の周辺に立ち、スタッフ数名と共に手分けをして毎日チラシを配り続けた。受け取ってくれた方々の中には、
「え? 監督さんなの?」
興味を惹かれたのか、話しかけてくださる人も少なくなかった。懸命に説明をした。そういった方々は必ず劇場に来てくださることが嬉しかった。
そのおかげもあったのか、次第に劇場もぽつりぽつりと開けてくれはじめた。
全国に展開する大手シネコンの一支配人が、なぜかぼくたちを熱心に応援くださりはじめた。自ら本社と掛け合い、自分の劇場を含め数館あけてくださった。
そこは複合商業施設だったので、劇場のロビーだけでなく、ぼくたちは食品売り場でもチラシ配りをした。食材の買い物に来られたお客さんに映画のチラシを渡す。戸惑いながらも受け取ってくれ、やはり中には話し込める人にも出会えた。
さらに思いついた。アメリカの劇場で見た従業員のステキなアナウンスを真似よう。
劇場の支配人に相談し、各スクリーンで予告編が流れているところに、ぼくたち兄弟とスタッフがスクリーン前に飛び出し、生声で映画の宣伝をするのだ。
予告編を眺めていたお客さんたちはスクリーンがいったん止まり、いきなり飛び出してきたぼくらをあ然と見つめた。ぼくらは両手でポスターを掲げ、1、2分間思いっきり宣伝させて頂く。はじめは何事かと眺めていたお客さんたちも最後になぜか拍手してくれた。そして、その方々たちは大半、ぼくらの映画を観に来てくださった。
やがて全国数十の劇場がかけてくださるようになった。ぼくたちは全ての劇場に出向き、同じことをくりかえした。上映はあしかけ3年間に渡った。
だが昨年、2作目「フローレンスは眠る」を作り上げたとき、映画興行の状況はもっと厳しくなっていた。
公開作品が激増し、ぼくたちのような自主独立、配給宣伝費のない映画は入るすき間がなくなっていた。
Aさんはエンタメの業界では超がつく有名な会社の代表をながく務められている。社名をいえばおそらく日本の95%の国民は知っているだろう。ぼくたちは人を介して一度、Aさんをご紹介された。
ぼくたちにしてみれば、とてもじゃないがお付き合いのできる方ではない。ところがAさんは、折りにふれ、「元気かい?」と気にかけてくださっていた。ぼくたちもAさんとはご挨拶をするだけの距離で充分だった。
が、前作の経験を踏まえ2作目を作り上げた時、はじめてAさんにご相談をさせていただいた。
「配給宣伝の会社をご存知ないでしょうか?」
ぼくたちにはまったくルートがない。ご紹介だけでもしていただけたら、自分たちで営業に行きますとお願いした。Aさんにも配給会社にも相手にはしてもらえないとは思ったが、やるだけやってみたかった。
「いいよ。ぼくの知り合いのところでよければ」
Aさんは快諾してくださった。
さらには、一緒に行こうとまでおっしゃってくださった。ぼくらのために、とてつもなくお忙しい時間を割こうというのだ。さすがにそのひとこと、兄弟で足がすくんだ。
何社かご訪問させていただいた。どこも超有名企業だった。
しかしこれまた、先方もトップの方々ばかり。口から心臓が出る思いとはこのことだった。
「なぜAさん自らおこしになって、この人たちを?」
みなさん、不思議そうに訊ねられた。ぼくらもそう思う。
Aさんは笑顔で、
「おもしろい人たちなんで、話だけでも聞いてやってください。もちろん断っていいですよ。それも彼らの勉強です。それに断ってもメゲる兄弟じゃありませんから」
ぼくら兄弟、そのときなにを喋ったか、よく覚えていない。ただ頭の隅で、時間のことを考えていた。目の前お二人の時間を時給に換算したら、軽くぼくの月収を超えるに違いない。
トップの方々というのは、実に決断が早い。
部門担当者に検討はさせるが、意には沿えないだろう、とはっきりおっしゃった。
会社を出たあと、少し時間があるからと、Aさんに誘われて喫茶店に入った。
「どうだ、厳しいだろう?」
Aさんはおっしゃられた。
変な汗をかきっぱなしだったぼくはひとつだけ、どうしてもAさんに伺いたいことがあった。
「なぜ、ぼくたちのような人間にここまでしてくださるんですか?」
Aさんはぼくらを見つめて、謎かけをされた。
「世界を変えるには3つのモノがいると、ぼくは思ってるんだよ。なんだと思う?」
「3つのモノですか?」
頭をひねったが、ぼくにはわからなかった。
Aさんは真顔でぼくらを見つめた。
「1つめは、ワカモノ。若者の力は素晴らしい。エネルギーにあふれていて、世界を変えてしまう原動力になる」
「なるほど。確かにアップルやマイクロソフトってそうでしたね」
Aさんはうなづいた。
「そして2つめが、ヨソモノだ」
「ヨソモノ?」
「同じ会社、同じ業界から変革を起こす人材はなかなか出てこない。まったく関係のない世界にいる他所者が新しい価値観をひっさげてくる」
云われてみれば、常識を覆す発想は、おなじ井戸に住んでいたらでてこない。ちがう世界にいるからこそ、目にできる穴がある。
ぼくらはすっかり話に引き込まれてしまった。
「で、3つめはなんですか?」
Aさんはにやりと笑った。
「バカモノ、だよ。君らのような馬鹿者だ」
「は?」
「映画界にもおらず、業界も知らない他所者。しかし、新しいことをやるというのは怖いもの知らずで、バカになれないとできないものだ。まあ、君たちはワカモノではないが」
Aさんはそういうと、大笑いされた。
ぼくたちはホメられたのか、笑われたのか、いまだによくわからない。
映画を作っても思うように売れない。売れないということは才能もないだろう。
それでも、ワカ(くはない)モノの、ヨソモノ、バカモノであることは確かだ。
思ったようにいかないけれど、そんなぼくたちであっても、支えてくれる人たちがたくさんいてくれた。だから今日ここにいられたのだ、ということに気づいた。
映画を作る前から、ずっと応援してくれている方々。
はじめて映画をかけてくれた劇場。
本社を動かしてまで上映してくれた支配人。
チラシ配りで出会った方々。
生予告で拍手をして、本当に初日にきてくださった方々。
いまはいい時代で、そうした方々とTwitterやfacebookでつながっていることもできている。日本中に会いたい人や友だちができた。
バカにならなければできなかった。
苦しいことのほうが多い毎日に、Aさんの言葉は深く胸に響く。
世界を変えることはできないけれど、自分の人生だけは、いくつになろうが素晴らしいものに変えることはできるのだ。
出会った人も、これから出会えるかもしれない方も、みなさん、本当にありがとうございます。
(2017年3月25日記)
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