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27年前、情報戦の片鱗をみた

 1995年。

 1月の阪神大震災の数日後、ぼくはテレビ番組の制作のため、中米コスタリカへ取材に向かった。まだ連日、震災の凄まじさが報道されおり、日本中はそれ一色だった。実際、コスタリカについてからも、皆が口を揃えて「日本の地震は大丈夫なのか?」と聞かれたので、世界的にも大きなニュースだったのだ。

 この時の出発は成田空港からの出国で、空港カウンターでチェックインがとても大変だった。

 とにかく撮影機材が大量にあった。

 長期のロケだったので、キャストを含めた取材クルーは自分達の荷物もたくさんあり、搭乗まで時間がかかると考え、早めに空港のカウンターに行った。

 撮影機材は関税免除の手続きなどをしなければならず、それがまた時間がかかる。通関で書類をもらい、ようやく発券カウンターでチケットを発行してもらい荷物を預け始めることになった。

 やっと荷物から解放される、と安心した矢先。

 「ただいまからアメリカに向かう飛行機のお客さまの手荷物は、再度、検査をいたします」

 は??

 この時コスタリカには日本からの直行便がなく、アメリカのダラスで乗継をしなくてはいけなかった。

 それにしても、僕らの前の便ではそんなことがなかったのに、なぜ急に??

 空港カウンターの人に聞いても理由がわからないという。しかも、アメリカ行きの乗客だけ、荷物は全て一度開けろという。

 なかには、すでに荷物をX線検査を通した人もいたが、それさえ戻されていた。

 しかも、

 「シャンプーやチューブ状の容器に入った歯磨き粉ほか、ボトルに入ったミネラルウォーターなど液体は、いっさい飛行機に持ち込めません」

 液体⁉︎

 火薬などの危険物ではないの? 

 なんで液体⁉︎ 水、持って入れないの!?

 空港中がパニックになった。

 長時間のフライトでは水も飲みたいし、歯も磨きたいじゃん。客室の洗面所で髪を洗う猛者もいる気はする。

 成田空港の広いチェックインカウンター前のフロアは、フタの開けられたスーツケースで足の踏み場がなくなった。

 とにかく、液体の入った容器を捨てるしなかった。

 キャストの荷物から「そばつゆ」の瓶が一本まるごと出てきたのは笑えた。

 「おそばが食べたくなるかもしれないじゃない」

 この突然の要求にアメリカ行きは全便、大幅に遅延。搭乗も予定より数時間遅れた。さらに機内に乗り込む寸前にも機内持ち込みの荷物も、しつこくチェックされた。

 係員になぜだ、ときいても誰からも要領を得ない答えしか返ってこなかった。現場も本当の理由を知らなかったのかもしれない。

 この大幅の遅延で、ダラス空港到着も大遅延。ただトランジットは入国審査なしの特別待遇で乗り継ぎはさせてもらえたが。

 そして帰国した2か月後。

 僕の作った番組が放送された1週間後の3月20日、オウム真理教によるサリンテロ事件が起こった。

 その時、誰だったのか、こう言われた。

 「アメリカはもうつかんでたんだ、オウムがテロを起こす可能性があることを」

 驚いた。

 霞ヶ関駅が襲われたのは3月。2ヶ月前の1月では、松本サリン事件ではまだオウム真理教の名前はマスコミにもまったく上がっていなかった。のちに映画にもなった冤罪で、会社員の方がずっと疑われて報道されていたのだ。
 ましてや未曾有の大震災で、みなそれどころではなかったこともある。

 その人の話では、アメリカは前年にあった松本サリン事件がすでにオウム真理教による犯行であると考えていたらしい。オウムはアメリカもテロの対象にしていたことを察知し、すぐさま手を打った。それが僕らが出発したまさにその日その時間だったという。

 ただただ恐るべきは、アメリカの情報収集力だと、つくづく思った。

 あれから27年。

 今のウクライナ戦争では、「情報」はあの時以上に強大な力を持っている。ロシアが「偽旗作戦」や「プロパガンダ」「フェイクニュース」など、情報そのものを武器として使っているし、また西側諸国も同様だと思う。

 何が真実でなにが嘘なのか。見極めることは難しい。

 ただあの時の経験で、ぼくはアメリカの情報だけは追いかけるようにしている。アメリカ政府からの発表やそれを論評する欧米メディアの記事がしっかりと読めるほどの英語力がほしい。

 まじめに英語だけは勉強しとけばよかった。

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