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”言葉”がうろたえる世界

 なにがツライって。
 音楽の打ち合わせが、一番つらい。

 映像の打ち合わせでは撮影監督や照明技師にむかって絵コンテを描いたり、もちろん言葉でも、どんな映像が撮りたいかを説明することができる。
 ところが音楽ってのは、言葉や文章ではどうにもうまく説明ができない。
 今の映画に音楽がないというのは考えにくいわけで、当然のことながら、作曲家がおいでになる。

「どのシーンに、どんな曲が欲しいですか?」

 作曲家は、必ずそう問いかけてくる。当たり前。
 わかっていても、この瞬間がツライ。

「ここはアクションシーンなので、こう、ドキドキハラハラするような」
「ドキドキハラハラ…?」
「いや、その、焦る感じ…?」
「焦る感じ、ですか?」

 焦ってるのは、オレだ。
 映像さえ出来上がったばかりで、頭のなかには音楽のイメージまで、まるで浮かんでない。

「…リズム…」
「リズム?」
「リズムだけで…えー、打楽器だけでドコドコ…追い立てるっていうか…」
「はあ」
「すみません」

 ここが限界。
 さらにメロディなんて、どう説明すればいいの? せいぜい、マーチとかセレナーデとかしかいいようがない。

 作曲家も作曲はゼロからのスタート。シナリオを書く時、白紙を前にする恐怖感は理解しているので、作曲家のつらさも想像はできる。既成の音楽を例えに出すこともできるけれど、それはなるべく避けたい。口に出してしまえば、作曲家はそのイメージから離れられなくなってしまう。サティといってしまうと、サティになってしまうのよ。なによりクリエーターに失礼かと思う。

 だもんで、シーンの意図や主人公の気持ち、感情の流れなどをあらん限りの言葉を使って説明しながら、
 
「それで、例えば、ギターのむせびなくような…?」

 と言ってるボクが、なんだ、それ? って思ってるんだもの。作曲家に伝わるわけがない。
 こうした目に見えないものを言葉や文章で説明するという難しさは、自分のボキャブラリーの貧弱さにうろたえる瞬間であります。

 昔々あるところで、オーディオメーカーのスピーカー技師と仕事をする機会がありましてな。
 スピーカー開発一筋何十年、でやってこられた超ベテラン技師で、スピーカーというのも実に多彩で奥が深い世界なのだということも、そのときはじめて教えていただいた。
 クラシックを聴くのによいバランスを持つもの、ジャズを聴くのにいいもの、女性ボーカルの吐息が艶めかしい、元気のある歯切れのいいアニソンなどを再現するスピーカーなど、さまざまな特性にあわせて技術者の方々は開発をされている。もちろん値段も数百円のものから、一本が高級外国車並のクラスまであって、音の世界の深みは底なし沼だそうな。
 で、そういう方々がどんな言葉で「音」を表現するのか気になったので伺ってみた。いわく、

「しっとりとした」
「弾けるような」
「深みのある」
「透明感のある」
「つややかな」
「音離れがいい」

 スピーカーは音を人間の耳に直接届ける最終部分なので、技術者同士でも、そうした言葉を使ってやりとりをするそうだ。
 電気的なメーターなどを使って特性を測ることはできるけれど、最終的には、やはり耳。中音域や低音、高音の抜け具合など、数値だけではない絶妙なバランスは聴覚という感覚が一番大切だとおっしゃった。

「この感覚を人に説明するのは、本当に難しい」

 ところが、この難しさは「音」の世界だけに限ったことではないという。
 意外なことに技師たちと同じ言葉を使って、感覚を表現する人たちがいたそうだ。

「お酒を作る杜氏がまったく同じ言葉を使ってたんですよ」

 ある仕事で同席したスピーカー技師と酒造の杜氏が、お互いの仕事を説明する中で、お酒の味の表現と音の感覚の表現に使う言葉が一緒だったというので、えらく意気投合したのだそうだ。

「まったり」
「深みがある」
「『キレがいい』というのは『音離れがいい』と同じかもしれませんね」

 杜氏の言葉に、

「すごく驚きましたが、互いの理解が深まって楽しかったですよ」

 と、スピーカー技師はおっしゃった。

 考えてみれば人間の五感の表現は、視覚をのぞけばおなじ言葉が一番伝えやすいのかもしれない。ボクなんぞはつい擬音を使ってしまうけれど、もっと適した言葉もあるに違いない。

 音ではないけれど、視覚には言葉で表現するための学問があるらしい。
 日本美学研究所というサイトによると、それは紀元前の古代ギリシアが発祥だそうで、「エクフラシス」というそうだ。難しく言えば修辞学という。はっきり述べる、という意味で、英雄や神様を称えるために容貌や性格などを言葉で表現したことがはじまり。それがやがて人物や絵画などを言葉で精密に描写するようになった。

 ホメロスの「イーリアス」第18歌には、「アキレウスの盾」について装飾を詳細に描写してあり、視覚芸術の文字による表現として、とても有名な詩なのだそうだ。

ホメロス「イーリアス」で叙述されたアキレスの盾を絵にしたもの


 「エクフラシス」とは、ぶっちゃけていえば、絵画を見たことがない人に、その絵画を言葉で説明するといえばいいか。言葉を鍛える、文章を鍛えるという意味では、このトレーニングを積むと表現力は養われるかもしれない。

 で、音楽。
 音楽のエクフラシスは、どのようなものなのだろう。
 考えるに、言葉の技術に秀でた作家という人々は、どんな具合に音楽を表現するんだろうか。もし音楽を言葉で的確に表現されている作品をご存知の方がいらしたら、ぜひ教えて欲しいのですよ。ボクはなんとしてでも、そいつはパクりたい。

「あなたは自分が大好きな音楽を、それを聴いたことのない人に言葉で説明できますか」

 この叙述ができるようになると、音楽の打ち合わせは完璧。
 作曲家は泣いて喜ぶはずなんです。たぶん。



ご参考までに…
超高級スピーカー…http://www.esoteric.jp/products/avantgarde/trio/index.html
「エクフラシス」とは…http://bigakukenkyujo.jp/blog-category-4.html
アキレウスの盾…https://ja.wikipedia.org/wiki/アキレウスの盾#cite_note-4

(2016年10月29日記)

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