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誇り高きウエスタンへようこそ

 アメリカ中西部を縦断する旅をした。

 南部オクラホマからカナダと国境を接するノースダコタまで。大平原 —— グレートプレーンズと呼ばれる大穀倉地帯で、俗にいう中西部、という地域だ。

 飛行機で種を蒔くという大規模な小麦畑やトウモロコシ畑。何万頭も牛が放牧されている牧場は、衛星写真で見なければ広さがわからない。その広大な平原には、小さな町が点在している。車で何時間も走って、やっとたどりつく小さな町に一週間ぐらい滞在し、そしてまた次の町へと、南から北にむかって渡り歩く旅だった。

 旅はブレントという男と一緒だった。ぼくと同じ年。西部に生まれ、これまでずっとそういう旅をしてきた。ぼくは彼の運転するでかいピックアップに乗って、5000キロに近い道のりを共にした。

 ブレントは根っからの西部の男だった。

 車のカーラジオからはいつもカントリーミュージックが流れていた。ブレントはそれ以外の音楽を聞かない。もっともここではチューナーをまわしてみても、ほとんどがカントリーしか流れてこない。

 「やっぱカントリーミュージックだね?」

 ぼくは楽しかった。地平線の一本道。はてなく続く小麦畑。

 絵に描いたような風景に、カントリーソング。いかにもアメリカ西部だった。

 ところがブレントはなにが気に入らないのか、始終チャンネルを変える。

 「これは違う」

 「カントリーミュージックだろ?」

 「ウエスタンだ、ウエスタンがいいんだ」

 「ちょっと待って。カントリーとウエスタンって違うの!?」

 「ぜんぜん違う」

 初めて知った。

 「これだ。これがウエスタンだ」

 ブレントは満足げにラジオのボリュームを上げた。

 ぼくにはさっぱり違いがわからない。バンジョーが流れて、ヒーハーって、いうかいわないか?

 しかしブレントは楽しそうにリズムをとりながら、ハンドルを叩いた。

 西部はアメリカでも独特の空気が流れている。西海岸のロスや東海岸とは、まったく国がちがうんじゃないか。それまで出会った両沿岸に住むアメリカ人と明らかに人種も違うのではないかと思うほどだ。

 旅先でであった老人の一人が、

 「この国はおれたちが作ったんだ」

 といった時、はじめてアメリカ人の根幹にふれたような気がした。

 うまくいえないけれど、西部の人間には誇りのようなものを感じる。どこか開拓者の気風が彼らの中に生きているせいなのかもしれない。それまでなんどもアメリカには行ったし、たくさん友人もいる。しかし、こんな人たちには出会ったことがなかった。

 アメリカの時代劇である<西部劇>にでてくるカウボーイ、さすがに今は腰にガンベルトと拳銃を下げたガンマンはいないけれど、西部の人にはいまだどこかその精神は脈打っている気がする。

「荒野の七人」(1960)

 そうした西部には、西部人ならではの美意識がある。

 「お前のジーンズはどこのだ?」

 町の小さな食堂でランチをとっていると、ブレントがきいてきた。

 ぼくは履いていたジーンズのタグを覗き込んで、

 「リーバイスだよ。501」

 すると、ブレントは真顔になって、

 「ダメだ。それは軟派だ」

 「え」

 「ラングラーだ。ジーンズはラングラーにしろ。それがウエスタンだ」

 日本のエドウィンなんか履いてたら、きっとムチで打たれていたに違いない。

 さらにブレントは、

 「ジーンズを買う時、裾は長めにカットしてもらえ」

 「ひきずっちゃうじゃない」

 「馬に乗った時にキマる。馬にまたがった時、寸足らずじゃカッコ悪い」

 馬って、あなた。ぼくは馬なんて持ってませんよ。

 こうして旅のあいだじゅう、ブレントのウエスタンスタンダードに攻められ続けると、次第に自分の格好がおかしいんじゃないかと思えてきはじめた。

 ブレントだけではなく、町で出会う人たちもそうだった。

 「これどうだ?」

 若い男が、ブレントとぼくの前にやってきて、誇らしげな顔で腰を突き出してきた。

 腰のベルトに、とんでもなく派手でデカいバックルが輝いている。

 「どうよ? 200ドルもしたんだぜ」

 幅10センチはあろうかという銀の台座に、金色の装飾とレリーフが散りばめられ、真ん中でワシが両羽をひろげている。派手だよ、派手すぎるよ。

 …ところが。

 眺めているうちに、こいつも悪くないと感じはじめていたもう一人の自分が、頭をもたげてきていた。

 洗脳されてる。

こんな感じ。とにかくデカい。

 日々、そんな人たちに囲まれていると、ぼくはウエスタンこそが男の真骨頂と思い始めていた。

 ウエスタンブーツに、ブーツカットのジーンズはマストバイ。毎度の食事にチリビーンズとベーコンは欠かせない。

 「テキサスに行けば」

 ブレントが教えてくれた。

 「テンガロンハットは正装だ。持っといたほうがいい」

 「うん、わかった」

 「でも、ちゃんとあつらえてくれる店で買わなきゃだめだ」

 「オーダーメイドできんの?」

 「職人がいてな、顔の形にあわせてアイロンで型をつくってくれる。かっこよく仕上がるぞ」

 ぜったいにテキサスでテンガロンハットを買おうと決めた。

 この大地にこれほど似合う装いはない。それは開拓時代に始まり、どんなに時代が下っても何も変わらない。変えちゃいけない。西部の男には西部の男の譲れないプライドがあるんだぜ、ベイベー。

 そんな西部の男たちの根っこを垣間みる出来事があった。

 小さな町の真夜中。

 仕事を終え、やっと夕食となった。が、真夜中も1時を過ぎていて、開いている店はハンバーガーショップ一軒だけ。ブレントもぼくも疲れ果て、店の外にあるデッキで、ぼんやりとバーガーを食べていた。

 小さな町の深夜では、ぼくらの他に人影などありはしない。車さえ一台も通らない。

 そのとき、一台のピックアップトラックがやってきて、店の前に止まった。

 車から降り立ったのは一人の背の高い老人だった。

 おもわず凝視してしまった。

 真っ白なでかいテンガロンハットをかぶり、肩から胸まで刺繍のはいったシャツ。首にはバンダナを巻き、ヒザ下まであるロングブーツはピカピカに光っていた。

 なによりぼくの目を引いたのは、細長の顔にたくわえられた、立派な白い髭。もうマンガとしか思えなかった。

まさにこれ。(「トムとジェリー」ペコスおじさん)

 背筋の伸びた白髭のおじいさんは優雅に歩きながら、僕らの方に近寄ってきた。おじいさんはぼくたちの座っているテーブルに片足をどんっとのせて、

 「ヘイ、ボーイズ」

 と、話しかけてきた。

 いったいなにが起こったのか。

 ひなびたバーガーショップの青白い蛍光灯に浮かぶドレスアップした老カウボーイ。まるで、クリント・イーストウッド。誰もいない真夜中1時。異次元の夢でも見ているんじゃないかと思える異様な光景だった。

 おじいさんの南部訛りの英語はまったく聞き取れず、ブレントが話をしているあいだじゅう、ぼくはあんぐり、口を開けてた気がする。

 やがて老カウボーイは手を振り、車に乗って夜の闇に消えた。

 「なにを話してたんだ?」

 ぼくの問いに、ブレントは少し悲しそうな顔をした。

 「ちょっと変わった人だった…孤独なんだろうな」

 ブレントはそういうと、首をふった。

 中西部の人たちは大半が農業に従事している。それは開拓時代から変わらない。

 なにもなかった広大な大地に畑を作り、町を作り、法律をつくり、自分たちですべてを作ってきた。西部の人たちが口する「マイ・ホームタウン」という言葉は、日本人が想像する以上に生きる場所への強い思いがあるにちがいない。しかし、大牧場主をのぞいて、ほとんどの人が小作自営農家であり、生活はけっして豊かではない。

 特に90年代の農業法の改正で、たくさんの小作農家が潰れたのだそうだ。先祖から受け継いだ土地を手放し一家離散、自殺者も多かったという。「この国をつくったのはオレたちなんだ」という言葉は、そうした今に対する西部の人たちの偽らざる本音だったのだろう。

 こうした建国以来の気質を持ちながら、貧富の格差にあえぐ人たちが、「アメリカ・ファースト」を唱える新しい大統領を支持したのかもしれない。

 西部の人たちがウエスタンファッションにこだわる気持ちも、伝統的なアメリカ人である誇りを失いたくない、というところにあるに違いない。

 ぼくはこの旅で、いい人たちに巡り会えたと思う。みな人情に厚く、義理堅い人ばかりだった。じつはそれまであまり惹かれなかった国だったけれど、この旅でぼくはアメリカが好きになった。

 およそひと月におよんだ旅生活も終わり、ブレントは別れ際、

 「おれがえらんだベストアルバムだよ。日本で聴いてくれ」

 と、ウエスタンミュージックのCDを山ほどプレゼントしてくれた。

 日本の風景や生活にウエスタンミュージックはあまり馴染まないけれど、流れるウエスタンを聴くと、あの旅の日々を思い出す。

 ブレント、元気かな。

(2017年1月21日記)

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