声にひそむ見えない刻印
声優という職業はいま、とても人気のある職業だそうだ。
ウエスタンな話を書いたら、「荒野の七人」を見たくなってしまい、DVDを引きずり出す。パッケージを見て驚いた。
「オールスターキャストではないか…吹き替えの!」
出演されている俳優陣もすごいメンバーだけど、声の出演者もそれに負けない豪華な方々。
小林修(2011没)、内海賢二(2013没)、大塚周夫(2015没)、小林清志、井上真樹夫、矢島正明、森山周一郎…。たしかに子どものころ、テレビで放送されたものはこの方々たちの声で見ていた。
ぼくはふだん、洋画は字幕で見る。セリフも大切な演技だ。
しかしこの映画は、吹き替えにかぎる。
面白いもので、俳優自身の声よりも、吹き替えの方がしっくりくることもある。ロバート・ボーンはやっぱり矢島正明さんがぴったりだし、アラン・ドロンは野沢那智(2010没)さん。小池朝雄(1985没)さんでなければ、刑事コロンボじゃない。
コロンボを字幕で見た時、ぬぐえなかった違和感に引きずられ、最後まで物語に入ることができず、結局ぼくは吹き替え版で見直した。
やはりこれは、声を担当される方々の演技力がとても高いということなのだ。声だけでお芝居をする。きわめて難しいはずなのに、観ている人を物語にいざなう力量は、まさにプロの仕事だ。
ご本人がもはや「ルパン三世」その人だった山田康雄(1995没)さんは、クリント・イーストウッドの声でも有名だった。
テレビ屋としてやっと半人前になった頃、ぼくは山田さんとお仕事をさせていただいた。吹き替えではなく、バラエティ番組のVTRコーナーのナレーション録音。スタジオで山田さんを待つ間、ぼくはソワソワしっぱなし。大ファンでしたからねえ。
「おはようございますー」
と、ルパンの声が聞こえたかと思うと、スタジオのドアから山田さんが現れた。
ああ、ルパンだー! ああ、本物だー!
ぼくはすっかりとっちらかり、のぼせ上がってしまった。
ナレーション録音は通常、収録するブロックに分けてテストを行い、本番に入る。
ナレーションは映像の中の音々の間を、20秒間とか10秒間とか小刻みに分かれており、そこに入れていく。なかには5秒間にひとこと、という場合もある。
ナレーションの原稿は民放の場合、たいがいは放送作家が書く。ナレーターは目の前にあるモニターを見ながら、映像に合わせて原稿を読む。
原稿にはナレーションに入るタイミングを指示した秒数が細かく書き込まれており、そのため映像にもその時間が表示されている。
ぼくの仕事は「キュー出し」と云って、調整卓に座り、そのタイミング時間にボタンを押す。すると、アナウンスブースに座るナレーターの前に置かれた赤いランプが点灯する。それがしゃべる合図だ。ナレーターは映像を見ながら時間も意識し、同時に赤いランプを目の端にいれながら、原稿を読む。それもただ読むだけでなく、映像にあわせた感情や声のトーン、リズムを演技した上で、秒数内にきちんとナレーションを収めなければならない。
そのうえでの修正もある。テストは欠かすことができない。
山田さんは原稿を持って録音ブースに入る。ぼくは調整卓に座る。マイクを通して、小声で原稿を読む山田さんのつぶやきが聞こえてくる。
ぼくはトークバックマイクで山田さんに話す。
「VTRは全部で8分です。一度、通してご覧になりますか?」
山田さんはガラス越しにこちらを見て、
「いや、大丈夫だよー」
「では、ブロックごとにテストやっていきます」
ところが、山田さんは驚くようなひとことをおっしゃった。(以下、山田さんのセリフはルパンの声で脳内再生してお読みください。)
山田さんはあっけらかんと、
「本番いっちゃおう」
「え?」
耳を疑った。
VTRも見てない、原稿のテストあわせもやらない。
いきなりVTRを流して、本番ですか!?
「念のため、キューだけ出してくれる? 間違えたら、止めてやり直すからさ」
どんなVTRさえわからないで、ナレーションできるのだろうか。が、調整卓の隣にすわる録音技師は、心配するなという顔でぼくに目配せをする。
「で、では…本番で行きます」
「はーい、よろしくー」
録音中のランプが灯り、レコーディングマルチテープが回り始める。
キュー出しを間違えてはいけないと、ぼくは緊張で手に汗をかいていた。
しかし。
完璧。
完璧なナレーション。
寸分の狂いもない。
山田さんにとっては、初めて見る映像と原稿であるはずなのに、気持ちのいい間合いでぴったりとナレーションがハマっていくのだ。
魔術でも見ているようだった。
ナレーションは次々に進んでいき、あっという間に半分を越えてしまう。ぼくはあまりのすごさにあ然としてしまい、乗せられたナレーションと映像を見入ってしまった。
その瞬間。
ぼくのキューを押すタイミングがわずか半秒、出遅れてしまった。ぼくが半秒おくれると、山田さんは1秒遅れてしまう。けして気にはならない程度だったが、そのブロックのナレーションは、ほんの少しこぼれてしまった。
「おっとっと、止めてくれるー? こぼれちゃったね」
山田さんはガラス越しにぼくを見た。
「申し訳ありません! ぼくが出遅れました」
「あはは、そうなの? わざとタイミングをずらしたのかと思ったよ」
ぼくは胃がでんぐり返りました。山田さんはVTRの表示時間もちゃんと見ていたのだ。が、キューランプが遅かったことを、ぼくの演出だと思われたのである。
聞き惚れていましたとも言えず、自分の不出来をひたすら謝った。そして録音再開、収録はわずか10分間で終わってしまった。
8分のVTRで、録音時間10分。それもぼくの間違いがなければ、オンタイム8分で終わっていたはずなのだ。
これは、収録ではありえない時間だ。スタジオは2時間、押さえてある。でも、10分で終わっちゃったのだ。
「おつかれさまー」
山田さんは飄々とブースから出てこられた。
「信じられません…こんなナレーション録り…」
収録後にと出前注文していたコーヒーさえ、まだ届いていない。
「じゃ、せっかくだからコーヒーだけいただいて帰ろかな」
山田さんはそうおっしゃると、ソファに座った。
ぼくは衝撃がおさまらず、ただただ感嘆するばかりだった。
山田さんはニコニコ笑っておっしゃった。
「この原稿を書いてくれた構成作家の先生がさ、おれの個性やリズムをよーくわかってくれていて、秒数に収まる分量にしてくれていたからだよ」
ナレーターもプロならば、原稿を書くライターもプロなのだ。
「この仕事を始めた頃ね」
山田さんは楽しそうに話をしはじめた。
「テレビ放送の洋画の吹き替えは、ナマでやってたんだよ」
「はあ!?」
またも耳を疑った。
「ほんと、ほんと。テレビにはまだVTRがなくて、生放送で吹き替えやってたんだよ」
信じられない話です。そんなことが可能なんですか!?
吹き替えそのものも、映像に映る俳優とは言語が違うから、正確な唇の動きではない。ただ映像で喋り終わって唇が動いていないのに、声をだすわけにはいかない。その言葉の秒数にあわせた日本語の言葉を書くライターもすごいが、あわせることだって簡単ではない。それを生放送でやってたって!?
「ぜったいに間違えられない。おれたちはそういう仕事で鍛えられたんだよね…間違えたけどね、あははは」
テレビの創成期には、こうした信じられない話が多い。前人未踏の未知の世界。手探りで番組を作っていた。ぼくは創成期を走ってきた先輩方の話を聞くのが大好きだった。
先輩方は思い出話として楽しく語っておられるが、ときおり、
「修羅場をくぐる」
という言葉が出る。それほどしんどく辛かった仕事をさす。
眠れない。胃に穴が開く。血のおしっこがでる。もう逃げ出してしまいたい。だからこそ、終わったときの解放感は言葉にならない。おそらく、どんな職業の、どんな人でもその経験は持っているだろう。ぼくにもそんな仕事がいくつかあった。まあ、そんな仕事は今でも、100%願い下げだけど。
ところが、この経験はそのあとの仕事に影響する。つらい仕事に出会っても、
「あの仕事をやり通せた。あれに比べれば…」
と、踏ん張れてしまうのだ。気がつけば、それらがひとつひとつ忘れられない仕事として、体に記憶が蓄積されていく。
ぼくの経験など先輩方に比べれば屁でもない。なにしろゼロから作りあげた方々だ。生アテレコで始まった山田さんのキャリアに触れて、積み重ねてこられた経験の凄みを垣間見る思いがした。
若かったぼくは、これがプロフェッショナルになるということだと思った。
やっと運ばれてきたコーヒーを飲んで、山田さんはスタジオを出て行かれた。
仕事10分、雑談50分。
「山田さん、今日は本当にありがとうございました」
出際にぼくは深々頭を下げた。
山田さんはルパンのような笑顔で、
「またねー」
それが山田康雄さんとの最初で、最後の仕事だった。
人生の中のわずかな1時間。
それでも、ぼくに今も深く刻まれているprofessional印の笑顔。
(2017年1月28日記)
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