バック・トゥ・ザ・前世 パート1
「自分の前世、見たくない?」
某国立大学医学部の教授をされているA先生は、さらりとおっしゃった。
そんなもの、ほんとにあるんっすか!?
「おもしろいよー」
生きていればいろんな誘いがありますが、これほどレアな誘惑はベスト3に入ります。
A先生は大学で教鞭をとられている傍ら、病院での診察をされている普通のお医者さんですが、医学を越えた知見の幅広いお話は、時間が経つのを忘れさせてくれるほどに面白い。
常識をくつがえす、思いもよらない話題は刺激的すぎて、作家になったほうがいいんじゃないかと思うほど。
先生のおっしゃる「前世を見る」というのは、心理療法のひとつ。
催眠誘導によって潜在意識の中に降りてゆき、自分の人生に影響を与えている記憶(前世)や今の自分に最も必要な記憶(前世)を思い出すことで、いま抱えている悩みの本質を探る、というもの(だと理解してます)。
療法というから本来は病気の治療なのでしょうが、とりたててどこも悪いところはないけれど、
前世、見たいんじゃん?
ものすごく気になるじゃん?
なにより、映画のネタになるかもじゃん!
で、A先生の催眠誘導で、ぼくは自分の前世を見に行ったわけです。
催眠術をかけてもらうのも生まれて初めて、ましてや前世なんて! 好奇心が爆発して、前日は興奮して眠れませんでしたよ。
そして当日。
静かな暗い部屋。
ぼくはソファに横になり眼をとじる。そばに先生が座り、ぼくに語りかけます。とにかく先生の言葉に集中して、言われる通りに意識をゆだねます。数字を数えながら呼吸を整え、自分が一番落ち着く場所をイメージします。
いわれたように想念できるか心配でしたが、意外にすんなりその場にいる自分をイメージできた。
「目の前にたくさんの扉があります。どれでも好きな扉を開け、なかに入りましょう」
いわれたとおり、目の前にたくさんの扉が現れた。ひとつ選んでドアを開けてなかに入った。
ところが目の前は真っ暗。
「足もとを見てごらん。なにを履いてる?」
するとですよ。
サンダルが見えた。素足にサンダルを履いた自分の足。
「…サンダル…革のサンダルを履いてます」
「そのまま見上げて、いま何を着ていますか?」
膝たけあたりから、スカートのような裾が見え、細いベルト、7分袖の麻の貫頭衣のような服を着ている自分がみえた。
浅黒い肌に、乱れた長い黒髪と黒いヒゲ、どうみても日本人ではなかった。スゴく思いつめた顔をして、埃っぽい通りを歩いていた。
そう答えたぼくの言葉に、先生は誘導を始める。
「どこを歩いてる?」
これがとても不思議なんだけど、今の自分が子どもの頃を思い出すときと同じ質の映像が脳裏に見えるのですよ。
どなたでも明確に覚えている記憶ってあるでしょ?
他のことは忘れているのに、その時の様子は細かいことまで映像で覚えてる。あれと同じように映像が、色まではっきり見えるわけです。
思いつめた自分が歩いていたのは道幅は5メートルぐらい、両側には土で固めた扉のない家が並ぶ通りだった。
道にはたくさんの人が往来し、女性はイスラムのヒジャブのような装いで、みな顔を隠している。顔を隠しているのは通りの砂埃がヒドいからだ。通りはその町の一番大きな通りだった。
「どこの町? いつ頃?」
場所と時代を聞かれたが、明確には説明が出来ませんでした。
ただこの町の北には海があり、海の向こう側には先進の大国ローマがあり、遠い東には罪人として十字架に書けられた男がいて、それを慕う連中がまだいるという噂を自分は知ってた。現在のボクが考えうるに、地中海沿岸のアフリカ大陸側のどこかの町、時代は紀元後まもない時代ということになる。
こうした背景があまりに当たり前の事実と確信できたのが、ボクにはちょっと怖かった。
先生の誘導は細かな生活の仔細から、さらにその子どもの時代にまで及んだ。
追うごとにボクの目の前には、鮮明な映像が現れるようになった。
自分はその町で、大工の工房で弟子として住み込みで働いていた。
住んでいる家は仕事場と兼用で、入り口をはいるとすぐに工房になっており、左手には大きな木製の作業台、右手の壁にはさまざまな道具がかけられている。大工といっても家を建てるだけでなく、屋根や窓の修理、椅子やテーブルまで作る、いわば頼まれたらなんでも作る職人といったらよいだろうか。
工房の主人は白髪の大柄な親方で、工房の奥に部屋があり、そこが食事をする場所だ。親方はいつも同じ席に座り、自分はその向いに座る。親方の奥さんが食事をまかなってくれている。奥さんが素焼きの壷から(たぶん)ワインを注いでくれる。
「その町で生まれ育ったの?」
「違います。もっと西の、貧しい村です」
自分でも信じられないほど、はっきりとわかっていた。
ぼくが生まれた家は、その町から西へ60キロほど内陸部にいったところにある小さな集落だった。
5歳の頃は父と母、妹の4人家族で、やせた黒い犬を飼っていた。
家の前の風景が、地面の水たまりから枯れた木の色まではっきり脳裏によみがえる。
ちいさな家の前には井戸があり、うらには作業場があった。
作業場には吹子のような道具があったので、父親は鍛冶屋だったのかもしれない。ただ道具を作るだけでなく、やはり何でも作ったり修理することを仕事にしていたようだ。
食卓に父が座り、むかいに自分と3歳の妹が並んで座っている。妹のそばには母が立って食事を用意してくれている。
父はぼくに「おまえはもっと大きな仕事ができる職人になるといいな」といった。
「それで大人になって、町へ出たんだ?」
「そうらしいです」
「じゃ、もういちど最初に歩いていたときに戻ってみましょう」
「はい」
「なぜ、思いつめていたんだろう?」
ここからが催眠療法の本番なのかもしれません。
その人生で自分にとって一番大きな出来事、一番心に残っていることが現れて、それに向き合うわけです。
「どこに行ったの?」
先生の問いかけと同時にぼくは、町の中心に近い丁字路、その縦道の正面に立っていた。
横道沿いには家が並び、縦道の正面だけが空き地になっている。ぼくはその空き地にたって、すごく悩んでいた。そばには2、3人の男が立っていてぼくの顔を見ている。
「なにをしてるんだろう?」
「…よくわからないです…悩んでるんです。どうしたらいいんだろうと」
丁字路の突き当たり正面はそんなには広くない空き地で、そこでぼくは途方に暮れていた。その感情だけはとてもリアルで、いま思い返しても息苦しくなるほどだった。
答えられないぼくにA先生はいった。
「じゃ、その3年後に行きましょう」
その言葉と同時に、ぼくは丁字路の縦道の、空き地だったところを正面に見る位置に立っていた。
次の瞬間、ぼくはすべてを理解した。
3年後にできていたものは、周囲を大理石の手すりで囲んだ公園のような小さな広場で、中央には2メートルぐらいの高さの拝火台が立っていた。
その空き地は岡の上だったらしく、ひらけた背後の下にはたくさんの人家が広がっていた。手すりからは町が一望でき、両サイドに階段をしつらえてある。階段をおりると人家のあつまる下町にでる。逆に下の町から見上げれば、岡の上に立つ拝火台の火が見えるというものだった。
「きみがそれを作ったんだ?」
「そうです、ぼくはこれを作ったんです」
すでに工房では親方がなくなり、ぼくが工房を引き継いでいた。
その頃に町から、あの場所に町の記念碑のようなものを作って欲しいと頼まれていたのだ。町の人たちの憩いの場所となり、また町のシンボルとなるようなものを。
しかし町にはそうしたモノ作りができるのはぼくの工房しかなく、ぼくしか適任者がいなかった。
だが、職人となってからそれまでの人生で、そんな依頼を受けたことがなかった。ぼくは生活に必要な実用品しか作ったことがなかったのである。だから、実用品ではない、広場やモニュメントをどう設計し、デザインしてよいのかわからず、ぼくは苦しんでいたのである。
これが思いつめていた理由だった。
それでもぼくは、なんとかその場所を作り上げたらしい。
しかし3年後のぼくには、心の中にまだわだかまったものが残っていた。
なにより、作ったぼく自身が、それを気に入っていなかったのだ。
「町の人はなんといってるの?」
「いいものができたと喜んではくれています」
「でも、きみは気に入らない?」
「これじゃない、もっと違うもの…自分が一番わかってるんです。これではダメだって」
まさにいま思えば、
現在の自分の心の中でありますよ。
これまで舞台をやったり、映画を作ってきましたが、どれも満足したものはひとつもない。
制作者として当たり前と云えば当たり前ですが、モノを作るってその繰り返しなのかもしれません。
療法が必要な悩みなんてないと思っていましたが、たしかに心の奥底には、不満足で未熟で未完成としかおもえない結果への反省ばかりが澱んでいます。
それが催眠療法によって自分の目の前に浮かび上がってきたんでしょうねえ。
それが本当に前世なのかどうかはわかりませんが、もう一度作り直したいという願望だけは嘘ではありません。
できることなら、あの広場とモニュメントを、もう一回作り直したい。
今度はもっといいやつが出来ると思うんだよな。町の人が他の町にも自慢できるような。
ところが、前世退行はまだ終わらない。
著名人でもなく、実に庶民である自分の人生は、もっとシビアな人生だった。
以下、次回は臨終そしてさらにいくつかの転生まで。
しかし転生しても、どれも地味すぎて笑えます。
(2016年11月19日記)
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