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あの人たちには終わりがない。

 カメラ用の、小さなレンズが手元にありましてね。
 ドイツ製のとても古い、おそらく戦前か戦中に作られたレンズです。

 当時のドイツは世界一の工業力を誇る国。国内で採鉱されたガラス硝石と鉄鉱石はとても質が良く、世界最高だったこともそれを支えた理由のひとつです。

 ところが、このレンズをよく見てみると、ガラスの中に気泡がある。ホコリのように小さな空気の泡。

 ぼくは妙にうれしくなってしまいました。

 100年近く前、レンズを作るには高い技術力が必要でした。

 レンズには「歪み」が禁物。フィルムに映し出される像が歪んでしまいますから。

 レンズはガラス硝石を溶かし、型に流し込み固めて作ります。
 ただ固めるときに急速に冷やすと歪みができてしまう。そのため、ゆっくりとガラスを冷やすため、2年もの時間をかけていたそうです。

 まるでウイスキー。

 しかし、ガラスを固めるだけの工業製品に2年間です。

 そりゃ気泡も残る。

 でもドイツ人の技術者は、2年かかろうがその製造方法を貫いた。

 そうやって作られた製品が100年近くの旅をして、手元にあることがぼくは面白くて。

 ドイツ製はレンズだけではなく、カメラ自体も世界一でした。
 
 カメラは精密機械のかたまり。当然、値段も凄かった。戦前日本では、そのカメラ一台で都内に一戸建てが買えると云われたそうです。

カール・ツァイス製レンズ「ゾナー」



 そんな話を以前、知り合いの録音エンジニアと交わしましてね。

 Oさんはエンジニアでありながら、ディレクターであり、プロデューサー。
 その技術力はとびぬけていて、自らの手でいくつもレコーディング機材を開発され、なかには世界特許をもつものまであります。
 Oさんの作った機材を求めて世界中のアーティストやあちこちのスタジオから、レンタルの申し込みもあるんだとか。

 が、機材だけでなくOさんご自身のレコーディング技術も国際的に高く認められている。
 ある著名なクラシック演奏家は死後、Oさんに自分の全作品の版権管理を委託しているのだそうです。
 世界的音楽家からも全幅の信頼を得ているなんて、バケモノみたいな聴覚を持っているとしか思えません。
 
「どうしても手に入れたい真空管がありまして」

 と、Oさんは云った。

 それがどれほどすごい真空管なのかは、なんど説明されても、ぼくにはさっぱりわからない。
 Oさんは世界中に持っているネットワークを駆使し、何年もそいつを探していた。
 それほどまでに熱望しているのだから、相当すごいものなのだとということは、ボケナスのぼくにも伝わってはきましたが。

「古いものだし、ほとんど現存していないし、なかば諦めてはいたんですけどね」

 ところが、ついに出てきたと南米の方から連絡が入る。

 すぐにお金を振り込み、今か今かと到着を待つ。

 何年も待ちわびた真空管がやっと手元にとどき、箱を開けてOさんは驚いた。

「真空管のガラスのところに鷲の紋章が入ってたんですよ、ナチスの!」

 ドイツという国はやっぱりすごい、と二人で盛り上がったわけ。

 そんなOさんも音のクオリティを追求しつづけ、従来のレコード会社に満足できなかったのか、ついに自らの音楽レーベルを立ち上げた。

 「まあ、聴いてみてください」

 ぼくの事務所に来られたOさんは、盤面に手書きのタイトルを書いたできたばかりのCDを差し出した。
 ぼくは部屋の隅に置いてある、いわゆる安いラジカセにCDを入れたわけですよ。
 音が出た瞬間、ぼくはわが耳を疑った。

 「なんだ、この音!?」

 おそろしくクリアで、生々しい。

 すぐそばで生演奏を聴いている臨場感。

 超高級オーディオ機材ならまだしも、たかだか数千円のラジカセ。
 しかし出てくる音は、それに負けていない。

 全身が粟立ち、ぼくはあぜんとラジカセを見つめた。
 どういうこと!?

「CDの可能性を極限まで追求したくて」

 製作の理屈を説明してくれたけれど、やっぱり難しい。
 CDのマスタリングとカッティングの工程で機材を持ち込み、なんちゃらかんちゃら云々。

 ま、とりあえずそれ以来、Oさんの作ったそのCDはぼくの「基準CD」となりました。

 ヘッドフォンやイヤフォン、プレーヤー、スピーカーを買うときに、それを持っていき、実際にその場で再生させて音色、音質を確認する。
 このCDの音が自分好みに再生される機器を選ぶというのが「基準CD」。

マイ「基準CD」(ブリフォニックレコード/仲野真世ピアノトリオ「スカビオサ」「ナチュラルフロウ」)


 そんなCDを作っておきながら現在、Oさんのレーベル「ブリフォニックレコード」では、新作はCD製品をやめてしまい、USBメモリーかネットでのダウンロードで発売となった。

 つまりはハイレゾ音源。
 データ量が多すぎて、CDでは容量が足りないということです。

 先日、Oさんのプロデュースをされたコンサートが開催されまして。

 もちろんOさんの音へのどこまでも追求する姿勢もさることながら、演奏者「仲野真世ピアノトリオ」の音楽そのものも、ぼくは大好き。

 シンプルな編成であるのに、それぞれの楽器がどこまでも深く、繊細。からみあった時に生まれる調べは豊潤で、胸の奥がふるえてくる。

 ライブの最中、Oさんの新しい試みが披露されたんですが、これにはすげえ驚いた。

 事前に録音した演奏を超高音質ハイレゾに変換し、その音源をライブ会場で聴き比べるというデモストレーション。

 いくらハイレゾとはいえ、生演奏と録音を聴き比べるなんて、それってどうなのよ?

 しかし再生された音はすさまじく、ライブで演奏されている音とほとんど聴き分けがつかないほどの迫力とクオリティ!

 話によれば、原音収録時のクオリティにも妥協せず、あえてアナログで録音。そのために世界にも5台しか現存していない高品質アナログレコーダーを用意したって…。

 Oさんは会場の隅で、にこやかな笑顔を浮かべて立っておりました。

 この人の頭の中を見てみたい。

 ぼくはひそかに、Oさんは世界で5本指にはいる技術者ではないかと思っているんです。
 ま、ほかに誰がいるかはまったく知りませんけど。

 100年近くも前の、当時の空気を封じ込めたガラスレンズといい、どんな世界でも、道を極めていくというのは終わりがない、とつくづく思いました。

 完璧を求めて2年もかけて作られたレンズをつくったドイツ人の技術者とOさんは、ぼくには重なって見えてしかたがないわけです。

「ゾナー」と「テッサー」
レンズに名前をつけるなんて、どういうこと!?



ご興味のあるかたは……

Oさんの作られたハイレゾ音源体験もネットから無料でできます。
できればヘッドフォンのほうがよいかも。
「仲野真世ピアノトリオ」による「スカビオサ」。ぼくのイチオシ曲。

(2017年2月18日記)


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