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「私が色々消耗しながら労働しているのにクソどうでもいい話をするな」と思ったあなたへ…

川の水の色がすごい日の度に前の職場のパートお母さんが「この水でバスクリンを作って売ろう」という話をしだすのが好きだった事を思い出しました。

業務外で職場の人が噂話やイメージで好き勝手物を言いすぎる事が続き「田舎の人みたいだな」と感じた事について考えていました。
最初の疑問は「あの人達はどうしてあんな何にもならない会話で時間を無駄にするのか」だったのですが、

・自分も母親と好き勝手な話はよくする。むしろ話の半分はそれ
  → 好き勝手な話をする事自体に不満はなさそう

・都会の人もどうでもいい話・好き勝手な話、する人はしそう。人によりそう
  → 田舎も関係なさそう

じゃあ何だと掘り下げていったら不満の矛先は
「私がこんなに消耗し気を張って労働しているのにお前らはクソどうでもいい話してるよな、別にしてもいいけど私の時間に関与せず勝手にやれや」
ぽいぞという事が見えてきました。

そんな事を考えていた時読んだハートドリブンという本

多くの人が、自分の中には全てあっていいというところからスタートしていない
抑圧された感情も自分の中にあるのに、それをなかったことのように扱うと、その感情を体現している人を見た時にそれを許せないという感情が出てくる。
抑圧している自分の中に、本当は自分もそうありたいという思いがあるからだ。

これじゃないですか
本の著者である塩田元規さんがU理論という本の翻訳者の1人、由佐美加子さんの言葉として本文の中で紹介されていました。

抑圧の元になっていそうな自分の行動が色々思い浮かびました。
・何に対してもすぐ共感しようとしがち
・自分の気持ちを考慮せずにいい人っぽい、真面目っぽい行動選びがち
・負の気持ちを「こんな気持ちを抱く事は良くない」と消そうとしがち

強くて面白い友達に昨年嫌な奴の倒し方を相談していた時(何を相談しているのか)目から鱗だったのですがその友人、「嫌な気持ちにさせられると自分だけ損した気持ちになるから言い返す。例え自分に非があっても」と言っていて。とてもびっくりしたんですよね…
私は悪い気持ちにさせてしまったという方向に考えて自分の非を探しがちだったので、初めは友達強!こわ!笑と思っていたのですが、そう、自分の気持ちを一切排して人を気遣おうとするとか怖い事をしているのは私の方でした。

なぜそんな事をするのかも考えたんですが、
その方がいい気がしていたんですよね…
消耗するし損するし不毛な事になる気がしてはいました。
でもこの方がいいと思っていた。よくなかった。おそろしいです。

最近何年もかけて取り組んでいた事を終わらせる事ができたのですが、素敵なゴールや新しいさわやかな景色でも見えるかと期待していたら見えたのは「成し遂げたい事があるならマジで余計な事によそ見なんてしてる暇ない。ないなら別にいいけど」みたいな事だったので、そう、どうやらまず大切な軸は自分…!

人といるとすぐ消耗したり不毛な気持ちになりがちな方一読の価値ありです。

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