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全体主義管理社会の現実化を阻止する

2019年11月のアメリカ大統領選挙結果を巡り、民主党・バイデン候補サイドによる大規模な不正=イカサマがあったとの強い疑念が提示された直後から、私たちの自由世界において、民主主義の基礎である『言論の自由』が損なわれた異常な状況が、今もなお継続している。

誰もが本来、自由に自分の意想を発信できるはずの、世界有数のインターネット・コミュニケーション・プラットフォームの全てが、『奴等』の支配に下り、あからさまな言論統制を行っているのである。

もちろん、自由な発信にもルールがある。いわゆる公序良俗に反する事柄、犯罪を推奨・助長する事柄、名誉毀損・人権侵害、犯罪行為等々、発信すべきでないものを発信する自由は無い。

ところが、世界有数のインターネット・コミュニケーション・プラットフォームの全ては、

▼ 大統領選で、民主党・バイデン候補サイドによる大規模な不正=イカサマがあったとの主張。
▼大勝利をおさめたのはトランプ大統領であり、バイデン氏の就任は違法であるとの主張。
▼連邦最高裁にまで至るアメリカの司法そのものが、すでに完全に毒されて正常な機能を失っているとの主張。
新型コロナウイルスは存在していないといった、いわゆるパンデミック自体が偽装された演出で、実際は何も起きていないとの主張。
新型コロナワクチンは感染発症予防のためではなく、人類を大幅に削減するために、できるだけ多くの人びとに植え付けようとしている、即効性または遅効性の毒薬であるとの主張。

——等々、こうした発信は『人心を惑わす』、プラットフォームの利用規約に違反する、といった理由で、一方的に削除・発禁してきたのである。

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私たちが育んできた民主主義の概念においては、政治・社会・経済等々にまたがる普遍的および個別的テーマについて、メインストリームの意想に対する異論・異見があるときは、それら全てを開示し、賛成・反対の立場から互いに論述し合って、落とし所を見出し、双方妥協の上、採決も経ながら、現実的な結論を導いて解決するべきものとされてきた。

ところが、実際のところ、インターネット・コミュニケーション・プラットフォームのみならず、普段の生活の中で、職場の同僚同士、気心の知れたはずの友人同士、親戚同士、そして家族同士であっても、自由に、はっきりと、思っていることが言えなくなってきた。

今こそ、18世紀・フランスの哲学者・ヴォルテール(Voltaire)の名言として伝えられ、近代民主主義・自由主義・言論の自由の本質をシンプルに表現しているとして、私たちがよく知っている言葉——

『私は、貴方の意見には反対である。しかし、貴方が貴方の意見を主張する権利は、命をかけて守る』

——を、あらためて噛み締めたいではないか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB

いったい、私たちは突然どうして、こんなにも自由にものが言えなくなってしまったのだろう。

それは、少なくとも、ここ約2年間に亘って執拗に繰り返された新型コロナコロナコロナコロナの洗脳により、多くの人びとの意識に、強烈に刷り込まれた未知なる何物かに対する漠然とした恐怖、——その、ヘタをすると死を免れられないとの思いに駆られる、ただただ恐怖恐怖恐怖に苛まれて、私たちがみずから、多様な意想を受け容れ合う自由な精神的土壌を放棄してしまったからだろう。

それこそが、『奴等』の思う壺なのである。

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思い起こしてほしい。本来、一人ひとりが何を信じようと自由だという、私たちが、ずうっと育んできた価値観を。

例えば、新型コロナワクチンを射ちたいと思うなら、射てば良い。
しかし、ワクチンを射ちたくないと思う人びとの意想もまた、尊重されるべきであるはずだ。

ただただ恐怖恐怖の勢いだけに圧され、一切の議論が許されず、たとえ正しいと宣えるだけの根拠があっても、一方的に否定され、潰される。

これは、全体主義管理社会と呼ばれる。
私たちは今まさしく、その入り口に立っている。

このことに目覚めた人びとに、私は呼びかける。

私たちを、是が非でも全体主義管理社会へ導こうとしている『奴等』の計画を崩壊させるために、まず、心のうちの恐怖を鎮め、『緩やかでも強固な意識の連帯』に参加してください。

私たちが、いつでもどこでも何をしていても、まず、心のうちの恐怖を鎮め、一段、高い意識の波動の調べに和し合わせるだけで、『緩やかでも強固な意識の連帯』は可能なはずです。

そして、ついに『奴等』の計画は潰え、一掃されて、私たちは、来るべき真に自由な『霊的精神文明』の担い手となるのです。

央の内の
恐れを鎮め
高波の
調べに和し
解き放るなり

をのうちの
おそれをしつめ
たかなみの
しらへにやわし
ときはなるなり