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くもをさがす読みました

カナダで🇨🇦がん治療
医療事情が想像もできない。言葉も十分に通じない国で治療の大変さがよくわかった。そこには文化の違いが大きく関わっていることも。


ああ、自分は一人では何も出来ないなぁ。弱いなぁ。日々そう思った。そしてそれは、恥ずかしいことでも忌むべきことでもないのだった。ただの事実だった。
 私は弱い。
 私は、弱い。
日々そうやって自覚することで、自分の輪郭がシンプルになった。心細かったが、同時に清々しかった。

そう、自分の弱さを知ること、認めること。
加奈子さんは、がんは自分の一部で闘う対象ではないと忌むべき存在ではないと書いている。闘う敵になれば勝敗がついてしまう。

…死そのものは公平だ。死を受け入れることはドラマチックな行為になりうるが、「死ぬこと」は、驚くほどありきたりなのだ。死は、私たちが呼吸しているすぐそばにある。まるっきり無垢な、自然な佇まいでそこにあるものだから、私たちはよく、それを見過ごす。
 私たちの胸を痛ませるのは、ありきたりな死そのものではなく、死がもたらす不在の感覚だ。あの人がここにいない、そのたった一つのことが、私たちを狂わせる。だが、不在は私たちが見過ごしていた死を認識するきっかけを与えてくれる。とても痛ましいが、必要な学びだ。

がんの罹患から、やはり死を意識してそこから人生を振り返り、そして周囲を見渡す。見過ごし、認識していなかった死をありありと見つめ恐怖を作り出す。
いろいろな教訓を手に入れる。

自分の身は、自分で守るの

あなたの体のボスは、あなたやねんから

歩く速度で走りながら、私は自分の寂しさを見つめた。寂しさはやはり鋭く、見つめることは痛みを伴った。病気に罹らなくとも、いづれこの寂しさと、私たちは対峙しなければならない。老いてゆくとはそういうことだ。昨日まで出来ていたことが急に出来なくなる。それはある日急に起こったり、いつの間にか始まっていたりする。私たちは終わりに向かって、着実に足を進めている。


私は今息をしていて、生きている。
そして、がん患者さんを支援できる所にいる。
一人一人にハグをすることはできないが、心に抱えた不安を抱き締めるつもりで、話を聞こう。
治療をする目的を明確に、周囲と対話をしながら、治療の主導権は患者さんにあることをしっかりと伝えようと思う。

感想書いてたら、引用ばっかでほぼネタバレすいません。
愛を込めて

光を捕まえた。あなたにもお裾分け

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