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惰性と情熱の結晶

Open Lesson覚書。

未だにきれいな説明ができた試しはないのだが、
わたしは厳密には歌を教えては、いない。

英語の歌のレッスン、と銘打っていながら何を言っているのかと自分でも思うのだが、
おそらく一般的に期待される"歌を教える"レッスンはしていない、ように思われる。

ボーカルスクール、歌の教室、ボイトレ…
名称や教室のあり方はさまざまだ。
わたしの場合はこの15年ほどをかけて、出会い時間を共にするべきひとを丁寧に選別するすべを身につけてしまったため、
"あなたは歌を教えてはいませんね!"という指摘を受けることが、昨今、なくなってしまった。

唯一、ひろくオープンにしているOpen Lessonが、その指摘を受ける可能性のある場なのだが、
不思議と、誰も、そのことを口にするひとはいない。

教えなくても、レッスンが成立するのはなぜか。
それは、曲の力によるものだと仮定する。

曲は、人を自由にする鏡だと信じてやまない。
わたしは自分のことはいつまでも疑っているが、曲のことと、そして生徒さんのことは、信じることに決めている。信じることに決めているので、仮に裏切られても平気でいられる。

出会うべき時に出会うべき曲に出会い、
現在の自分と、鏡を通して対話をする。

なぜわたしたちは、こんなにも、自分自身をないがしろにするのだろう。
曲とひととを繋げていると、ふとそんなことを思う。

わたしは、あなたは自由でいていい、と言いたい。
本当はいつも言いたいけれど、個々の事情があるので、歌を教えるふりをして、そのことを伝えてもよい時間を確保しているのかもしれない。


本日のメニュ*
-warming up
-improvisationに挑戦
-say something
-soloをつくる。表現の手法、取捨選択。


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