こじつけ?いいえ、必然的な交わり


3/17


わたしが筆を取っている(打ち込んでいる)この日付は皮肉にも昨年、アジアツアーの日本日程開催中止が発表された日だった。

実に長い道のりの中で込み上げた感情は、各々の処理のうちにある。どんな顛末も愛することができるのは結局のところ自分自身。器用に乗りこなしてきた波の思い出たちを振り返ってもそうじゃなくても、今ここに自分がいるという奇跡に花丸を。辛くなったらいいことだけを思い出して。



これはあくまでもつぶやき。

本人たちが一番〇〇だろうから、は憶測に過ぎないし、憶測は自己の欲求を満たす最大の手段になり得るからここでは、自分という人生を軸にした中で登場した彼らの意味をちょっぴりロマンチックな気分で記させてもらおう!


現在20歳。人と会えば、上がる話題は「就活」がほとんど。中にはもう社会人となり、一人の人間としての生活を器用にこなす者も少なくない。人生を左右する判断は大なり小なり転がっていて、今回はかなり大きいのがきちゃったな〜といった感じ。

そんな中でわたしは教員志望。就活とは離れた世界で暮らしており、お悩み相談要員に徹している。

特殊な職ではあるけれど、小4の時に初めて抱いた憧れであり、ずっと揺るぎない意志。でもゴールではない。ここを通過できたら、わたしの人生はより意味のあるものになるというどこからかやってきた自信を携えて、ここまできた。


でも最近、なんだかよくわからなくなってしまった。


コロナ禍で大学にも通っていない、夢見ていた勉強や実習もない、オンラインでの学びは限りがあり楽しさは極小、そして就活の話。夢があっていいなと言われ続けたわたしの背景はまるで、長く付き合った恋人と離れられない情が湧いているくらいの感覚になっているのかもしれない。

まあここでSNSを開くと大抵「今の時代なんでもあるだろ」と説教を垂れてくる大人がいるわけでありますが、わたしが求めているのは「同じ状況に陥った人間のその先」であり「全然知らない人のありがたいお話」ではない。


わたしこのまま教員志望で大学を終え、就職しているのか?タイムマシーンがあったら乗りたいな、なんて。


そこで思い浮かんだのは、びっくりすることに目黒くんだったのである。

彼はどうやって取捨選択を尊いものにするのか?なんて夜の道をひたすらに散歩しながら考えたけれど、当然のことながら本人ではないのでわからないし、彼にこの状況を代わりに判断してもらったところでその先は自分で乗りこなさなければいけないなと頭が爆発。一旦休憩とした。

外側から見た形は綺麗でも、内側から必死に崩れないよう突っ張って生きてきた人間は多い。みんな頑張って生きている。

彼が輝いて見えるのは素直な自分の気持ちからこぼれ落ちる言葉の数々と、謙虚さと、根っからの真面目さと、努力を怠らない泥臭さと、それがなかなか見えないというこれまた努力の結晶が幾重にも重なり放つ光。

断言できる未来があるわけじゃないし、ならなかったところで「ならなかったの!」という反応を器用にかわすくらいの能力が備わっていればいい話で。もちろんなりたいという気持ちが完全に冷め切ったわけではないから、こんがらがった糸をちょっと解いてみてから考えようかなと思う。やりたいことは幾らあっても困らないから。

ぱって浮かんだ顔に驚いたのは、彼の生き方にこんなにも感銘を受けている自分がいるのかというところ。


どの道を選んだって、輝ける。

今のわたしを大事にして生きていった結果が、自分の将来につながると信じて。

愛の線路で未来を繋ごうと思う。



もう一つ、この一年で大きく変化したことは居住環境の変化である。

一人暮らしが始まり、身の回りの全てを自分でこなさなければいけなくなった。ありとあらゆる家事も、支度も。

手料理にも凝り、お菓子やパンも焼くようになった。部屋も飾り付け、バイトもそれなりに忙しく。大いに充実していると思いきや、急な寂しさが襲ってきた。

コロナで帰省できない、そして「今は帰れないよね」という周りからの無言の圧。

その通りですよね、と返した。何回も何十回も同じやりとりをその時々で違う人とした。そうですよね、いけないですよね、大変ですよね、いつになったら帰れるんですかね。


いつになったら…


そう思い始めたら、苦しさが増してしまった。わたしはいつ家族に会えるのか?いつ友人に、恩人に、会えるのか?先の見えない戦いはずっと続くのか?

前後の期間も考慮して帰省をすることができた今だから言えることは、「確実に気持ちが落ちていた」ことである。人生の中で一番。こんなにも普段ポジティブなのに、どうして落ち込んでるのかはっきりわからなかったし、どうやって直すかも全くわからなかった。


その時ずっと、9人のYouTubeを見ていた。


ひたすらに、1日中家に引きこもって見ていた日もある。何度も何度も見て、大笑いして、ここが好きだなとか、ここ初めて見つけたとか、沢山のことを思った。

垂れ流して家事をする日も多かった。彼らの笑い声にとにかく安心するのだ。誰かが家に来てくれて、隣の部屋で会話を繰り広げながら笑ってくれているような暖かさ。まるで家族に会えているような、そんな感覚。

自動再生で時折混ざるパフォーマンス動画にはもれなく釘付けになり、動く手が100%の確率で止まったのはいうまでもない。


そして冠番組、これも非常に大きな存在感を放った。


気持ちが完全にやられていたわたしの曜日感覚を調整してくれた。正直週の後半は楽しいことだらけ。おまけに大笑い。一番寂しい夜の時間に寄り添ってくれた。

誰にも会えないけど、Snow Manの動画で限りなく近い距離にいられる感覚になることができる。それが本当に本当に有難かった。


どうしようもなく好きで、大切なSnow Manという存在にこれでもかというほどに救われて生き延びた。コロナ禍、どうやって乗り切りましたか?と聞かれたら「Snow Manさんとともに!」と大きな声で答える。


あら?こんなにもあっという間の一年なのか。

嗚呼、自分の人生案外愛おしいのかもな。一瞬一瞬を切り取ると自分のベストを叩き出しているし、後悔はひとつもない。曇りひとつない瞳でいられた瞬間は多かった。客観的に見たらまた話は変わってくるけれど、自分の人生なので満点をつけさせて欲しい。


ありとあらゆる情報を追いかけて追いかけて、その時の自分は本当に幸せな気持ちで「大変だよ〜!」と言いながらもニコニコしていた。だって嬉しいんだもの、みんなが幸せそうな顔でいてくれることが。

今を見つめる人の足跡が揃えば足音は必然的に大きくなり、外野のヤジは掻き消される。

ありがとうの花が咲けば水をやり、それを生け、一枚の写真に収まる。見返したら相当な枚数になりそうだな〜ってまたニコニコしてしまうね。

これからも一方的に救われた恩を返させて欲しい。いや、返させて欲しいは違うのか。わたしの人生で必要な存在として尊い気持ちを持って共に歩ませてください。いつもありがとう、笑顔で会える日まで。



追記 4/20

4月最初の壁を超えた頃でしょうか。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
桜も魅せ方を変え、生き生きとした緑を身にまとい風とともに踊っています。新しい命に背中を押され、春の誓いはより強さを増していくばかりです。

多忙を極めたなんて言えたものじゃないですが、主観で言うと割と忙しなく動き回っていたような。でもやりたいことに向かったわたしの脳みそは止まりたくないと叫び、わたしの身体もそうだねと同意したので、がちゃがちゃと思うがままに突っ走ってみた。

時に迷いながらガムシャラに駆け抜けた日々を振り返るという時間は、愛しくてたまらないんだろうな。そんなこともあったねと、笑い合える日まで歩みを止めない。できないことはない、じゃくて、できるまでやる。

そんな感想を佐久間くんの一万字インタビューを拝見した際に残したのだが、今回も同じようなピンク色の気持ち。

芽吹きの春を超えて水を欲しながらめきめきとのびゆく自分自身にストップをかけることなく、行きたい方へ、やりたいもののあるところへ、一旦身を任せてみて。違ったら引き返す。人生100年生きられる今の時代にはやり直すチャンスだっていくらでもあるのだから。

「自分なんかできないから〜」なんて自分に問題があるような言い方、自分がしてはいけない。自分を一番愛せるのは自分以外に誰がいようか。その発言は自分で自分を馬鹿にしているのと同じだぞ、と先生から言われた。

知ってるからこそ歯止めをかけてしまう瞬間がある。この先まで行ったことがないから?行くことが怖いから?
それは「どうやったらできるようになるかな」を極限まで考えたか、向き合えるもの全てに全力で当たってきたかにするべきだろう。常に全力で向き合った先に見える光を追い求める人生でありたいと思うのはわたしだけではないはず。

障がいのある子を支える学習を進める中で、この日常を生きるわたしをふわっと包み込んだのは新しい気持ちである。名前はをつけることは難しい。


辛くなったらやめてもいい。
違うと思ったら捨ててもいい。
いいなと思ったら愛していい。

全部全部、すの〜まんのみなさんに出会えた世界線で見つけた感情 お話。



十分に長いけれど、更に長くなってしまうので、今回はこの辺で。
またすぐに。





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