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Spring has come.


題の通り、有無を言わさず春がやってまいりました。私は例年の如く花粉に悩まされながらも、うららかな日の差す外に飛び出し、桜の写真を撮っています。呟きにも跡を残している通り、ほんのりと期待を寄せたこの春を、形として手元に置いておきたいのです。さあ、2021の春はどういった色で各々の人生に華を添えてくれるでしょうか。


昨日ベランダで洗濯を干していると、懸命に手を振る男の子が見えました。振る相手の方へと目をやると、彼の家族らしき人が。直感的に「ああ、ここへ越してきて、今日から一人暮らしをするのだな」とわかりました。

ずっとずっと、角を曲がるまで。姿が見えなくなっても、鮮やかに桜を移した瞳で、去りゆく先を見つめて。

わたしが一人暮らしを始めた時も、初めて遠く離れるその背中を必死に目に焼き付けておきたくて、追いかけたい気持ちを必死にこらえ、同じく彼のようにぶんぶんと手を振ったものです。わたしの両親の場合は車でしたが。

あの時と同じ春の香りが鼻先を掠め、刹那のように消えていきました。



春は出会いと別れの季節だから、と言われ軽く流されがちですが、一度きりの人生の中で、出会うもの・去り行くものを大切にする気持ちは季節を問いません。桜が舞っていても、雪が降っていても、同じことです。一度として同じ時は来ませんが、その時を思い出させるきっかけは日常のあらゆる場所に眠っています。風景、音楽、服装、香り。ぎゅっと胸を締め付けながら、どくどくと血を巡らせながら、一瞬にして蘇る。

巡り巡るときの中で起こった悪いことも含めた全てが自分の人生を形作ってきた要素なのだとすると、どうにかして自分の”やさしい”その手で抱き締めなければいけないのです。色濃く残る記憶ほど、首元を締め付ける力は強くなる。

もしかしたら、自分の記憶が違っている記憶だってあります。本当は齟齬が生じていたのに、責任感の強いあまりに、自分のせいだという記憶として引き出しにしまっていたり、いい人でいようと思ってしまっていたり。

口に出しづらい苦しい記憶なら、他人に話す機会もないはず。「もしかしたら、向こうもちょっぴり違っていたかもな~」と思ったって何の問題もないもんね!何年かすれば大抵のことは笑い話。少しでも心が軽い状態で生きていられますよう。

誰かに認めてもらおうとしながら生きることはつらいかもしれないけれど、知りながら、汲み取りながら、冒険心を忘れずに生きていけばいつの間にか知らなかった自分を見つけて、その自分が幸せに生きていける世界も見つかって、他人の目を気にすることもなくなるでしょう。気にしなければ生きていけない世界線なんてこっちからごめんだわ!



最近は、どんなものでも経年劣化しうることを認めなければならないなと思っています。ものに限らずです。

わたしのモチベーションスイッチは本屋さんの参考書コーナーにあります。疲れたり、やる気が旅に出てしまったときは欠かさずに寄ります。逆に、それ以外の時は全く寄り付きません。最近行ってないな~という時は波に乗っているという自分自身の指標です。



そして最近のエネルギーポイントは、Twitterという手段です。好きなものが一致しているものの、住んでいる場所も、目指しているものも、今何をして生活しているのかも全く違う。

目指す先の光からパワーを分けてもらうことでしか生きていけなかったけれど、全く環境の違う人々の刺激的な感性に触れ、自分の未熟な部分を育てていくことが今の私にとって大切なことなのでは、と思ったのです。やりたいことをやり抜くのに特化した技術を身につけることも大切ですが、現場に出てから学ぶことのほうが圧倒的に多いだろうし、極端な言い方をすると、檻から出られなくなって新しいものに触れる機会は今よりもぐんと減る。だからこそ今のうちに全然見向きもしてこなかった方へ目を凝らしている最中です。

今の時点で分かっていることとすれば、揺らぐことの怖さと本物の意思は全く毛色が違うということです。どういうことなのか。


本当に私はこれがやりたいのか?なんて定期的に物思いにふける方もいるでしょう。わたしもそのタイプの人間です。その時に思うことは「ここから動くことが怖くて執着しているだけなのか?」です。なんていうんでしょう…未練みたいなものと同じかと。この辺の感情ってきっと紙一重なんでしょう。この世には紙一重のものが多すぎる!!!!!(でも「わたしこの人のことほんとに好きなのかな」は交際関係にない限りないような気がします。推すも推さぬも自由意志です)

案外歩みを進めてみると、怖いものってなかったりします。思い立ったが吉日、でも、今じゃないな~って思ったら今じゃない。やりたいと思ったことはやる。タイミングは自分次第。そう考えると人生1000年あっても足りません。


春に寄せる言葉として適切なものであったかどうかはわかりませんが、新しい環境へ飛び立ち奮闘するあなたを、夢に向かって進むあなたを、もがきながらも懸命に生きるあなたを応援しております。


ひらりと桜が青く染まった理由はわかりませんが、青く澄み渡る空がどこまでも繋がっているように、彼らとの繋がりもきっと、ずっと繋がっています。










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