今を生きるあなたと
今回取り上げる話題は、「生の短さについて」というセネカ著の本である。
タイトルに惹かれ手に取った一冊は、想像の世界に留まっていたあらゆる事象を言語化し、また新たな世界への扉を開く鍵になり得る材料であった。
コロナウイルスの影響もあり「なにをしているんだ、わたしは」と思う時間が圧倒的に脳内グラフの割合を占める今、動き出そうと喝を入れようにも入れられず日々を悶々と過ごしている人がこの世の大半を占めると私自身踏んでいる。
ましてや大学生の私は「せっかくの4年間が」と学生の身分に託けて嘆くのなんて得意技だ。思考回路を絶っても出来る。
そこで、この文を読むわけである。
(引用)
しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。
読んだところでだからなんだと言ってしまえばそこまでの話で、それでも「およよ?」とぶら下がったわたしはやはりきっかけを求めていたのだと恥ずかしながらも自覚した。
どうせこの自粛期間が終わる時、もっと広い目で見たら生を閉じる時「あれもやっておけばよかった」と嘆くのが決まったオチであるだろう。しかしこの悲観的な状況をものともせず、躍進を続ける人物も存在することは確かだ。
(引用)
これほど長い生涯をかけて、あなたがなしとげた仕事はなんですか。
ただバイトに通う私には荷が重すぎる、この質問。いつかなんとか答えられるのかと今はまだ保留の段階。
どんなにお金持ちでも浪費家は長続きしないし、雀の涙のような財産での生活でも上手くやりくりをすれば生活を楽しむことができる。世にある全ての事象「人次第」というわけだろう。
それと同じように、生の使い方もプラスマイナスどちらにも働くということ。
また、セネカはこうも述べていた。
(引用)
しかし自分自身のために暇をもてない人間が、他人の横柄さをあえて不満とする資格があろうか。
人間はそれを湯水のごとく浪費した挙句、土壇場になってようやく気づくのです。いつまにかに人生は過ぎ去ってしまった、と。
忙殺的な日々に埋もれることは自分の心をも殺し、成長せんとする自らの首を絞めていることと同等の行為であるということだろうか。
高校時代の私は「暇が欲しい」とよく嘆いたものだった。それこそ、自分のために動いてるつもりでも気づけば周りの目を、空気を、挙動を気にしているから発生する余計な疲労。逃げたくもなる。
でもそれは自我を保とうとする割と正常な脳の判断であったのかもしれないと、この本を読んで結論づけた。自分の判断はなるべく正解にしてストレスフリーで生きたい。
今日ふと思い立って計画した一人旅も、その一環であるような気が今になってしてきた。一生懸命に生きる日々の中の息継ぎ。
懸命に動いているから酸素を取り込みたくなるのであって、静止中の過剰な酸素摂取はなんの益も無い。適度な運動と、適正な休憩。
(引用)
幸うすき人間ども、つまり多忙に追われている者たちにとって、まさに最良の日は真っ先に逃げていく、ということに疑問の余地があろうか。多忙に追われている者たちの心は今なお幼稚であるのに、彼らの心を老年が不意に驚かせる。先が見えなかったため、用意も防備もないままに達した老年である。
言い得て妙なのだ。もう!?というだろうが、自分がそうしていたからだ。誰のせいでも無い。確かな時間の流れを感じる間もなく生きてきただけ。
多忙な人ほど人生は短い。ただあったにすぎない人生になり得る。名誉や財産を求めて時間を浪費するのではなく、本当に向き合うべき問題に時間を費やすべき。…と綴っておいてなんだが、まだ20歳であるから経験論に基づいた説得力が伴っていないのが少々不満。
と、ここまではあくまでも読書感想文である。
彼らの話を関連づけよう。
未来に頼らず、現在をつかまえ、過去と向き合うこと。
これが長く生きるコツらしい。
パブリックイメージとして、アイドルは多忙を極める人種である、というのがある。冒頭から読んでくださったらわかると思うが、忙殺的な日々は人を殺すのだ。
しかし、この思考を一般化することができないのは、自分の愛を持って全力投球することに楽しみを覚えている人種があるからだ。思い当たるだろう。
未来への期待がないとは言わない。しかし、彼らの今を積み重ねたからこそ辿り着ける景色があるから、過去を誇って踏ん反り返ったりすることもなく進むのだろう。新しい景色を、新しい反応を貪欲に求めている。
欲しい言葉を発するし、特に黒色の彼が織りなす究極の文章技というのはまるで魔法のように心の氷を溶かす。
私がアイドルだったら……できるのか?
なんて考えたり考えなかったり。
空いた時間を大いに活用しているなと思ったのは美容番長だ。モチベーションの向上、自分という資本の質向上、話題の提供、あらゆる方面を見事にキャッチしている。畏怖の念すら抱く。
アニメだって、筋肉だって、勉強だって、カメラだって、料理だって、トークスキルだって、高校生の彼だって、さらに言えばザリガニ釣りだって。
自分という資本を大切にしているからこその行動がちらちら見えてくる。いや、見せていただいてる。ありがたいことです。
もちろん均衡を保つことが難しくなる瞬間だってあるだろうし、変化を求め続けて止まらない魚のような人だっているだろう。
でも見渡せば、仲間がいる。
だから、
ひとりじゃないって最強だ
というわけである。
全ての人に当てはまらない思考、そりゃそうだ。この世に何人存在すると思っているのだ。分身がいたら呼んできて、代わりを生きて欲しい瞬間ぐらいある。バイトとか。
生きていれば色々なことがある。
使い方は自分次第。でも、終わり際に後悔しても意味がない。今、過去を見つめる勇気とここで動き出す覚悟と出すだけで目の前の世界は変わる。
わたしの世界はもう、一面雪景色。
自分の人生は適度な休憩 雪だるまと共にある。
それが、幸せ。
「生の短さについて」/ セネカ著 を読んで -
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