目に映る景色すべて
感覚、という曖昧さに触れるお話になるので 多少のご愛嬌。そして何より、主観で物事を述べるのが非常に苦手であるので、まるで他人事のような言葉選びになる瞬間があってもご容赦願いたい。
この先の文章は、わたしの中にある、わたしが見てる世界のおはなし。
わたしは、文字に色がついて見えたり、曲に色がついて聴こえたりする。
極限まで皆様に近い範囲で例を挙げよう。
月は青、火は赤、水はピンク、木はオレンジ、金は紫 といった具合である。
単体で見る分には一定の決まりがあるのだが、文章になったり、単語同士が並んだりすると先頭につられて変化を遂げたりする。なんだかややこしい。例に挙げたのは曜日であるが、この世に存在するひらがな、カタカナ、漢字、数字 全てにすべてに配色されている。出会ったことのない文字たちも、また同じくそうであろう。
何を言っているのか、とお思いだろう。あなたのその気持ちは間違っていない。
わたしもこれまでに幾度か説明を試みたのだがどうやら万人に共通の感覚ではないらしく、説明に難儀を示されることが大半であった。私自身も、この目に映る世界を他人と瞬間だけでも共有出来たら良いのにな、と何度願ったことか。そしてそれだけではない。
人の名前も色がついて見えるのだ。
こちらを読んでくださっているのは大抵がTwitterで知り合った方だと思うのだが、みなさんのことももちろん、色で覚えている(全員!)
この人は名前この色なのにツイートはこの色か〜とか、この人の色の並びが個人的に好きだな!とか。
担当のカラーは関係ない。あくまでもわたしが見ているのは文字や単語。たまにわからなくなることがあるのは、メンバーカラーと単語の色がミックスされるからなのである。(非常に申し訳ない)
とにもかくにも、こういう世界なのである、という長い前置きを終えて。
向井さんに出会った日は、青だった。
なぜか。きっとそれは、その日が月曜日だったからである。
かれこれ8年ほどさかのぼる記憶になるので、詳しい日付は記憶の奥底に眠ってしまったのだが、なにしろ色の記憶がある。はっきりと、鮮やかに。
ここで補足しておく。常に色があるのかと言えば、そういうわけではないのだ。認識しようと強く目を凝らすと一気に視界が鮮やかになる。もしくは印象の強いものに出会ったときは色に圧倒され、視界に反映される。
この場合は後者だったのであろう。
今でも思い出されるのは彼の眩しい笑顔と、痛いほどに鮮やかな青なのだ。決して褪せることのない、限りなく空に近いあの色を忘れることなど誰が出来よう。初めての青に出会えたあの日から、空が近くなったような気がする。
そして 5/5 紫を身にまとう彼(私にとっても紫の印象であった)が生まれしこの日にこの内容をセレクトしたのには訳がある。
TLが非常に濃淡様々な紫で彩られていたからである。
彼を想う皆様の、心の底から湧き上がる愛によって包まれた言葉たちは紫のふんわりとした毛布で包まれたような、そんな柔らかさを持ち、且つ親の抱擁を思わせるような、丸みのあるものばかりであった。
織りなす言葉も、添えられた写真も紫。こんなにも曇りのない紫に出会うためにここにきたのかと思わされるほど。
29年という月日の中で、ごみ箱に放り投げてしまいたいほどに悔しい思いもあっただろう。宝箱にいれて丁寧に磨いてあげたいほど輝かしく愛おしい日もあっただろう。
今まで積み重ねた苦労や時間が、際限なく輝かしい未来を連れてくる確証などない。運命はときに残酷で、むしろ経た時間が長ければ長いほどに、去りゆく背中も消えゆくなにかもその瞳で見つめなければならない。
それでも自分がこの場所に存在することを選び、立ち続けてくれた。
さりげなく差し伸べた手を、優しく笑ったその横顔を、華麗な技で回す会話を、私たちが受け取ることが出来ているのは彼がここにいる、そんな奇跡からで。心からの感謝をここに記して。
大きな愛に紫を添えて、増幅させていく。
彼のしなやかな指がさす未来は、どんな色が待っているだろう。
誰に寄せた、何の文章が出来上がっただろうか。
振り返れば、勇気をくれた仲間がいる、そんな今日。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?