私のアイドル

アイドルが好きだ。色んなオタクとなって生きてきて、その都度熱狂するジャンルはあったけれどずっと音楽を聴くことが私は好きだった。
その中でもアイドルの曲は上手く自分の気持ちを表現することが苦手だった子供時代の私にとって、足りない勇気やエネルギーを補給してくれるようなそんな存在だった。自分には持ち得ない手の届かない太陽のようなキラキラだけど、何よりも私の人生の辛酸を和らげてくれた神様のような…そんな信仰に似た存在だった。
そのアイドルのオタクになっていつも思う事がある。大好きなアイドルに幸せでいてほしい。ただのオタクにできることなんてほとんどなくて、せいぜいCDやグッズをできる限りで購入して大好きだとそういう気持ちを文字にして綴るしかできないけれども。

初めて私がアイドルのオタクになるんだと決めた素敵な女の子のアイドルがいた。その子は志半ば精神的な問題でその道から降りた。SNSでその子への気持ちを呟いたけれど、上手く気持ちの消化ができなかった。しばらくはずっとその子の影を舐めるように探してしまった時期もあったし、アイドルを辞めた理由が理由だっただけに何一つその子の助けになれなかった自分が烏滸がましくも情けなく感じた。
数年経ちその子はアイドルではなくモデルとして私の前にまた現れてくれた。彼女なりのペースでアイドルとは違う形だけど、その子が笑顔で過ごしている姿を見せてくれた…その事にかつての私の心が救われた気がした。

昔舞台俳優オタクだった頃の推しが、とてもお世話になっていた先輩俳優がいた。共演も多く、個人的に好ましかった方なので推しがいなくてもその人の作品もよく見ていた。
その人にもう会えなくなったと知ったとき、頭が理解できなかった。考えることを脳が拒絶して、でも推しがそのことについて文字にしたブログを見てついぞ認めるしかなくなった。
あの頃、夜中に急にそれまでの思い出がぶり返して泣いて眠れないことが多々あった。推しと共演するイベントや舞台を見るためになれない夜行バスに乗ったことや、その方のファンと現場で語らった記憶。何年も何年もふいに思い出して、もう出会えない。年下の私はその人の年にいつか追いつくんだと思って吐き気が襲ってきた。

だからデジャヴュだった。個人的に清涼感があって好ましく聴くグループの、その顔を覚えているほどだった方が星になったと聞いたとき。悲しいことに前例がなかった訳ではないK-POPでついぞ出会いたくなかったその報せに、やるせない気持ちになってこのnoteを書きなぐっている。何度も文字に表しきれなくて悔しい。この感情がどうにも不甲斐ない。そこまでさせてしまったアイドルとは、なんなんだろう。

私の今の推しも時々心配になるくらい、ファンに対して心を砕いていると感じることがあって歯痒くなる。あまり眠れないと話していたとも聞く。
もうすぐ兵役に向かう推しは少しずつ身の回りを変化させていて、それでも私に、ファンに寄添おうと時間を共有してくれているところは変わらずにいてくれている。やがてその供給が途絶えても待ち続けられる自信が芽生えてきた気がする。でもきっと兵役に行く前の推しと帰ってきた推しは違うものになるんだろうな。その変化を少しでもたくさん愛せるような自分になれるように努力したい。だから大丈夫だから、どうか不安にならず健やかに幸せでいてほしい。

私はアイドルが見せてくれる束の間の夢をみつめて愛することしかできない。
アイドルの人生に責任をとってあげることはできない。逆もまた。
ああしてほしい。こうであってほしい。そんなことはやめてほしい。言っていい訳がない。でもオタクだからつい軽い気持ちで大小様々な欲望を口にしてしまう。そんな自分に自己嫌悪してしまう。
幸せでいてほしいと思うのにアイドルを縛るような台詞を吐いてしまう自分が嫌だ。
それでも自分の人生で生きていく勇気をくれたアイドルは幸せでいてほしい。極論だけどその幸せが引退という道でも、すぐには無理でも受け入れられるようになりたい。同じ空の下で生きている推しが幸せなら、推しを大好きだと想えた気持ちが私に残されているなら私も頑張って生きていける。本当にそう思う。