間質性肺炎の病歴②

【移行・中期②=2018年~2020年】
 患者のおごりを許していただけるなら、この中期②の始まりをNSIPの発症としたい。2018年に病状や治療に変化があったわけでない。定年の2009年から2018年初夏まで、体調に変化を感じることもなく溶接資格に関係する組織の小さな事務所に務めることができた。その2018年に第2の職場を辞めたことを病歴に記したいのである。2016年頃から低山の登山途中に休むことが多くなり、NSIPの進行を感じ始めた。B院で長くお世話いただくT先生も、血液やCT像に大きな変化がないから、ま、そんなもんでしょう とおっしゃる。ただ患者本人だけが病を正しく知るとの思い込みもあり、先生からいただいたNSIP診断書を組織の副会長に提出、病の進行を予測して辞任を願い出た。
 実はオリンピックの年2020年にはわが県が担当で、全国競技会を開催する予定があったのだ。事務局長として競技会場との折衝、競技選手と役員の交流懇親会場の手配などで、病を理由に支障が生じてはならない。幸い、後任も探し出すことができたので、2018年の総会で辞任を認証いただいた。それで野良へ出るだけが仕事となったのに、日常でやや息苦しさを感じ始める。散策や低山徘徊が好きだったが、ちょっとダッシュで息があがり山の急登場では佇んでしまうようになった。究めつけは、2019年秋の町内一斉清掃で明らかに呼吸能の劣化を意識してしまった。町内の道路沿いの小川や田圃・空き地に捨てられてある様々なゴミを拾い集める簡単な出会い仕事である。年長の女性陣が拾ってはスタスタと前進するのに、うつむき加減で拾った後で皆と進もうとするとパクパクと動悸がする。正直、残念な無惨な気持ちになった。
 それでも野良仕事には十分な体力があったようで、田圃の稲作はもちろん畑には牧場で頂いた軽トラ一杯の堆肥を散布もした。気分は貧乏性&欲張りである。

春の育苗ハウス(発芽稲苗)
畑へ牛糞堆肥を


しかし、動作によるの心拍数はもちろん作業合間の一服が増えることをT先生に相談したところ(2020年)、北勢呼吸器センターがある県総合医療センターに紹介状となり次の段階に進む。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?