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家族のテーブル

私には弟がいる。おそらく彼は、今50歳だ。

彼は就職していない。生きていることが仕事だ。

結婚もしていない。

彼は実家で76歳の両親と3人で暮らしている。

彼は、おそらく、ほぼ1日中、2階の6畳の自室で、ただじいっと横になって生きている。身体的には表面上、何も問題なく五体満足なのだが、6畳の空間での生活が10年以上続いている。

彼は料理が得意だ。台所に立ってよく自分の食事を自分で作っている。彼は作った料理を自室に持って行って1人で食べている。

私が時々、ふらりと実家に帰ると、主菜と副菜をセットにした弟の渾身の一皿がテーブルに置かれていたりする。

彼に聞いたわけではないが、きっと彼なりの私へのもてなしだろう。「渾身」と書いたのは、実家の冷蔵庫にはいつも納豆・豆腐・卵・牛乳くらいしかなく、そんな中で今ある材料で手の込んだ一品を作り出すのだから、感心する。よく出てくるのは、野菜入り豆腐ハンバーグ。ウスターソースをかけて、なかなかのものである。

私なんぞは、本当は(笑)料理は得意なのだが、忙しさと一人暮らしゆえ最近はコンビニ食で済ませることが多く、「手」の込んだ料理はしなくなったものだから、余計「お金をかけずに手間をかける」料理の大切さは身に染みる。

私は、実家のなんとも言えない閉塞感がとても嫌で、あまり帰らない。最近は、コロナもあってますます足は遠のいている。

コロナは人と人を遠ざける。しかし、皮肉なものだが、人生の「幸せ」について考えた時、私には実現させたい1つの映像が浮かんできた。

それは、家族みんなで1つのテーブルを囲んで食事をしている姿だ。もちろんそこには弟もいて、うちの娘もいる。そんな当たり前のようなことが、実家では、何年もなかった。

親が生きているうちに実現させようと思う。

私にとって「幸せ」は、家族が同じテーブルで一緒に食事をすることだ。

現代は、技術が進歩し、新しい技術や考え方を学ばなければ、時代に取り残されて、この時代に幸せに生きることができないような危機感がある。だから、私もいろんな新しいことを一生懸命学ぼうとしている。それは確かに大事なことだとは思っている。

しかし、最近思う。

本当に大事なことは、そんなに難しいことじゃないんじゃないかと。

人の「幸せ」は、そんなに一生懸命がんばらないと手に入らないものなんだろうか。

いや。「幸せ」ってもっと単純で、私たちがもともと持っていたものなんじゃないか。

もともと持っていたのに・・・・手放してしまって・・・・見失っていたこと・・・・それに気づけることが、幸せなんじゃないだろうか。





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