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東大王からもらったもの

9月18日、『東大王』最終回。
自分を見つけ育ててくれた番組が、ひとつのピリオドを迎えた。
寂しいような、温かいような。複雑な気持ちを抱えながら番組の最後に向き合う、そんな数ヶ月だったように思う。
最終回の知らせを受けてから当日を迎えるまで、東大王というものについて考える時間が増えた。自分が初めて番組に出てからの5年半分の回顧と、結局自分にとって東大王は何であったのか、について。
自分が口下手なのも相まって、1回の取材や配信ではとても語りきれなさそうなので、ここに文章の形で残しておこうと思う。で、まとめるのも下手なので多分いっぱい書いちゃうと思う。


「ジャスコ」という第一答

出演に至るまで

オーディションの頃まで遡って話をしようと思う。
2019年2月末、卒業を控えていた伊沢さんの穴を埋めるべく、およそ1年半ぶりのオーディションが実施された。前回のオーディションでは箸棒だったのでリベンジを期していた部分もあったが、同時にクイズとの餞別の機会とも捉えていた。
大学3年生の自分は、とにかくクイズ中心の生活をしていた。時間があれば部室に行き、閉館時間までクイズに明け暮れた。が、結果が伴わなかった。大会では紙落ちを繰り返し、トボトボ泣きながら帰る夜もあった。それでいて、クイズ漬けの生活の犠牲になったものも多く、学業や就活では学科同期に遅れを取ることとなった。そのため、今回のオーディションで縁がなかったらクイズと距離を置き、遅れを取り戻すための生活を始めるつもりでいた。その意味で、オーディションは自分とクイズの今後を占うイベントであった。
オーディションを終えて1週間ほど経った頃、青山で企業の説明会に参加したあと友人と飲んでいたら1本の電話が。候補生としてオーディションを通過したという知らせだった。選ばれたことへの嬉しさと、クイズから離れなくて済んだことへの安心があった。そして、その瞬間から出演に向けての準備が始まった。過去の放送を見たり、東大王風の問題を自作してみたり。突然降ってきたチャンスに、人生の風向きが変わっていくのを感じた。

衝撃のデビュー

3月中旬、初収録の日がやってきた。
テレビならではの華やかさや規模感にただただ驚いていた記憶がある。呼び込みの煙とかね。
解答席に移動する前、MCお二人とのトークで何を話したか辺りの記憶はない。それだけ緊張していたということだろう。「みんはや全国1位」というなんか強そうな実績と「年号を出すと出来事が返ってくる」という謎特技(正直見せ方が難しいのでもうやりたくない)を披露したことだけ憶えている。

そして、ジャスコ。いや、ジャスコて。
答えが分からなくて悩んでいたとき、芸能人チームから「落ち着いて!」「何か書こう!」という応援の声があった。メディア初心者へのお気遣い、大変ありがとうございます。ということで何か書いたらすごいことになりました。やはり何か書いてみるものですね。
今思うとこの時点で東大王における自分の立ち位置がある程度決まった感があるけど、それはそれで良かったとも思っている。もしこの日に戻って人生をやり直せるとしたら全く違った未来を描けていたかもしれないが(正解知っちゃってるしね)、やり直したいとは思わない。それくらいこの名前は気に入っている。唯一不便なのは、日常会話でやす子さんの話になったときに自分のことかと一瞬耳を疑っちゃうことくらい。『呼び出し先生タナカ』で共演した時は何度かピクついた。

候補生としての日々

同じく候補生の紀野さん砂川さんと、正規メンバーの座をかけて競い合うこととなった。
自分が一番クイズ畑出身であるという自覚があったので、知識ベースの問題をどれだけ回収して強みを見せられるか、というのがひとつ鍵であったと認識している。他二人が得意としているひらめきや漢字で張り合おうとするのは分が悪いので、それ以外の部分で伸ばせるところを伸ばして評価してもらおう、的な。あと、伊沢さんが抜けた分の戦力を一番補填できるのは誰かという目線でも見られるはずなので、総合力を意識していたというのもある。
初回はジャスコの件もあって波乱の幕開けとなったが、2回目以降は少しずつ良い正解が出るようになってきて、手応えを感じていた。強い自分と弱い自分の両方を序盤に見せられた(結果的にそうなっただけだけど)のは良かったと思う。番組でのパフォーマンス全てが評価対象になると思ってやっていたのでストレスも大きかったが、ライバル2人との間に良い意味でピリついた空気がなかったのが救いだったようにも思う。これは2人の人柄によるところが大きいけど。

「東大王」を背負うこと

正規メンバーになってからの変化

7月の収録で正規メンバーの発表があり、選ばれたのは自分だった。この3ヶ月で積み上げたものに自信はあったが、選考には視聴者投票も含まれており、自分が選ばれるかどうかはその瞬間まで分からなかった。だからこそ、自分の名前が呼ばれた瞬間、評価してもらえたことへの嬉しさとその他たくさんの感情でぐちゃぐちゃになっていた。
正規メンバーになると全てのステージへの参加が必須となり、より総合力が求められていると感じた。そして、誤答すると今まで以上に悪目立ちするということも知った。スピードアンサーのように基礎力が試されるステージなら尚更。「できないとナメられる」ということを痛みをもって知ったのがこの時期一番の学びであり収穫だったように思う。「ナメられる」というのは共演者に、というより見る側(視聴者)に、という意味。
プロ意識というものについて考えだしたのもこの時期だったように思う。東大王という看板を背負う者として何が求められているのか、みたいな話。まずは正解という結果で番組の名に恥じぬ実力を示すこと、そして正解に至る思考を分かりやすくコンパクトに開示すること。解答者としてのプロ意識と、演者としてのプロ意識。この2軸をもって、自分なりの理想の東大王像を捉えるようになった。前者は今までやってきたことの精度や練度を高めることである程度達成できると考えていたが、後者については未知の領域がかなり多かったので、伊沢さんに相談に行ったりした。

2年間の総括

東大王チームにいた2年間は、それなりに後悔が残る2年間であったと思う。特に正規メンバーに選ばれてからの1年半。もっと東大王として毎日を生きるべきだったし、東大王としての純度を高めるために努力する余地はたくさんあったが、今ひとつ高めきれずに卒業を迎えてしまったという感じ。「選択を後悔しないように生きる」ということを卒業以降の自分のテーマにしているのだけど、それは東大王での経験がベースになっている気がする。
ただ、後悔も学びの一つであり、その分東大王として得た学びというものは本当に大きい。学びは財産とも言い換えられる。
自分にとって東大王は「もう一つの学校」であった。大学では教わることのなかった、社会勉強の場としての学校。
番組がどんな過程を経て作られていくか、そこに自分が寄与するにはどんな力が必要か、どんなコメントが使われる/使われないのか、仕事に対するプロ意識とは如何なるものか。全て東大王で学んだし、東大王で学んだことが今の自分を形作っている。メディア人としての自分も、経営者としての自分も、麻雀プロとしての自分も。生きている限り学びは終わらないけど、その土台には間違いなく東大王での学びがあるし、今後の学びは全て東大王での学びの上に積み重なっていく。

番組を離れて

「プロジェクト東大王」と「1軍/2軍制度」に思うこと

東大王を卒業し番組と距離ができたことで、今までとは違った目線で番組を捉えるようになった。今までは番組を中から見ることが多かったので、改めて外から見るのが新鮮に感じた。
卒業後1年間の東大王は、見ているのが辛かった。理由は、「プロジェクト東大王」と「1軍/2軍制度」だ。
自分たちが卒業した次の回、8人のプロジェクト東大王メンバーと6人の現役メンバーによるサバイバルマッチが行われた。(大将だった鶴崎さん含め)全員を同じ地平で戦わせるという構図は良くも悪くも東大王っぽいなと思った。今までの貢献度を一旦全部度外視して、純粋に「今この場での強さ」で決めるという潔さ。東大王では「強い人をちゃんと評価する」というフェアネスが最初から貫かれていたと感じており、その意味ではこのルールにある種の納得感はあったわけだけど、視聴者サイドの納得できない気持ちもすごく分かるので当時は感情の置きどころが難しかった。
サバイバルマッチが終わり1軍/2軍制度が始まったが、チームの雰囲気は外から見る感じあまり良いものではなかったんじゃないかなと思う。負けが込む展開が多く、画面越しですら悪い空気が伝わってきたので、現場はそれ以上だったことだろう。陣容が前年と大きく変わり、加えて人の入れ替わりも激しいチームを率いる鶴崎さんの気苦労は察するに余りある。
他のメンバー(特にプロジェクトから入ってきた人たち)もかなり苦労している印象だった。自分で望んで飛び込んだ世界とはいえ、普段の学業とは別軸の高度な水準を求められ、できないとナメられる。また、この頃には番組の歴史がそれなりの長さになっていたこともあり、現在のチームを過去のチームに重ねて見る層も一定数いたことだろう。SNSでは「東大王は初期メンが一番良かった」「東大王は面白くなくなった」等の声が少しずつ目立つようになり、ファン離れが起こっていることを実感させられた。自分の好きなコンテンツや好きな人々が悪く言われる、苦境に立たされているという状況に胸がキュッとなることが毎回のようにあった。
しかし、それでも彼らはこの1年を生き抜いてみせた。自分がいた時代より何倍もストレスフルで過酷な環境だったと思うし、この1年を完走しただけで全員偉大だ。その後勝ち残った人も、去った人も。
最終回、プロジェクト出身メンバーの人たちが生放送の観覧に来てくれたのが嬉しかった。まだこの場所を好きでいてくれたんだ、と思えて。

解答者として

卒業してから、解答者として何度か番組に出演させてもらう機会があった(最終回を除くと4回くらい?)。大体半年〜1年に1回くらいのペースだったので、毎回スタッフさんに近況報告しに行くのが楽しみの一つでもあった。収録の合間、MCのお二人や杉山アナ、その他スタッフの方々に「最近◯◯出てたね」と声をかけてもらえることが嬉しかった。卒業しても東大王というでっかいファミリーの一員であるという、帰属意識みたいなものを持つことができた。
解答者としては学生の頃のパフォーマンスを上回ることができなかった。レギュラー出演の学生として出るのと、ゲストの社会人として出るのとでは重みが違いすぎる。1問の正誤、1回のコメントが次の仕事に繋がったり繋がらなかったりする。そのことを分かった上で気合を入れて仕事に臨んでいたつもりではあったけど、結果がついてこなかった。やはり東大王で輝くには出演が決まってから対策するのでは遅くて、卒業した後も日々を東大王として生き続けるマインドが必要であったということか。現役感を保ち続けるために。

最終回と、これから

終わることを知って

今年の5月か6月くらいから、番組終了の噂をネットニュースで見かけるようになった。公式発表前だったので噂程度に捉えていたが、程なくして出演オファーが届き、「卒業生がたくさん集まる回」と聞いたので「ああ、これが最終回かもな」と思ったりはした。
番組が終わるということを知り、第一感として寂しさがあった。自分を育ててくれた存在でありホームとも呼べるような場所がひとつの終わりを迎えるということへの寂しさ。そして、同時に安らかな気持ちもあった。イチローの引退会見を見た時のあの感じ。そういえば引退試合も初めての収録の2日後とかだったな。

そして、最終回

最終回を迎えるにあたって、プレイヤー面でいくつか準備をした。ここ数ヶ月の時事を洗い出し、東大王の必修科目について整理した。時事はオリンピック、北陸新幹線、新紙幣、新世界遺産を中心に、出題できそうな形式を考えるところまで。必修科目はざっくり総理大臣、国旗、絵画、絶景あたりを復習。
収録では2nd STAGE爆速敗退からのまさかの爆速敗者復活。ジェットコースターみたいなクイズ。2ndは必修科目の詰めの甘さが出たけど、負けを引きずらずにスッと目の前のクイズに入れたのがかなり大きかった。ここで負けたら次はないっていう状況も追い風になったかもしれない。

そして、生放送当日。今までにないほど勝ちを渇望していた。個人戦だからというのもあるし、最終回だからというのもある。最後の最後に伊沢さん捲って優勝したら面白いでしょ。

結果、タコ負けした。

せめて1問くらいは回収したかったなーみたいな若干の心残りはありつつも、1問持ち帰れたところで結果は変わらないので、総じて気持ちのいい敗北だった。「どんな問題、どんな展開の時は即押しする」みたいな方針だけ事前に決めており、それを遂行し切った上での敗北なので何も後悔する要素がない。見届け人席の水上さんにもの悲しい顔をさせてしまったことへの申し訳ない気持ちはあるけど。
学生の時からずっと、「テレビでクイズしてる自分、なんか苦しそうだなー」と思っていた。結果を出さないといけないというプレッシャーが、自分の表情もプレイングも固くしていたように思う。しかし、この日は全てが軽かった。テレビの中の自分が人の目にどう映ったかは分からないけど、少なくとも自分の中ではプレイヤーとして一番クイズを楽しめたのがこの最終回であったと思う。クイズって、誤答しても、負けても、こんなに楽しいのか。最終回にして、またひとつ大切な学びをもらった気がする。

SNSでは最終回に初登場の人を出すことについて賛否両論あったみたいだけど、個人的にはそういうところも含めて東大王らしいというか、「強いヤツが偉い」という基本精神みたいなものが最後まで貫かれた(守られた)ということがとても嬉しいと思った。「うん、やっぱ俺が大好きな東大王ってこういうのだよな!」みたいな。まあ誰が勝ち上がっても同じ感想になってはいるだろうけど。

これから

『東大王』が終わるのと同じタイミングで、『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』もレギュラー放送終了とのこと。小5クイズは出演の機会こそなかったものの問題設計がとても好きだったので東大王とはまた別の寂しさがあるんだけど、ここ1〜2年で複数のクイズ番組が放送終了を迎えており、そこはかとなく冬の時代を感じてしまっている。
自分が心配しすぎなだけかもしれないし、クイズ"番組"が時代に合っていないということかもしれないし、本当にクイズブームそのものが下火なのかもしれない。ただ、クイズ界を照らし盛り上げ続けてきた灯台的存在が1つ役目を終えたことは確かで、業界にいる人間として、いちOBとして、文化の担い手として、東大王の"灯"を絶やすことなく明日のクイズ界に繋げていく、東大王からもらったものを明日のクイズ界に還元するということに、ある種の使命感を感じている。
きっとそれが、東大王への恩返しになると思うから。

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