『楽園ノイズ』にはまってるので6巻の話を

最近、杉井光氏の小説『楽園ノイズ』にはまってる。最近と言うか読み始めたのが5巻が出て間もない頃でその頃からなのでちょっと長い。まあ、シリーズ開始当初から読んでてずっとというわけではないにしてもそれなりに経つので、はまっていると言ってもそう熱狂的なものでもない。通勤途中とか電子書籍の本を読んでることが多いけど、今一面白くないなーとか思うとつい『楽園ノイズ』を読み返したりしている。そんな感じ。

先日、その『楽園ノイズ』の6巻が出たので即座に読んだ。紙も注文してたけど発売日の未明に起きて電書を買って途中まで読んだり。
なんというか、ご機嫌なロックナンバーと甘いバラードを期待してたらプロコフィエフをぶつけられた気分。
だって、あの作品紹介を読んでたらそうなるよね。というか相当数の読者がそうだったのではないかと思うんだけど。

しかしこの巻のエピソードは極めて重要であり、真琴が本来の自分を取り戻すという、色んな意味で原点回帰の話だった。その点ではとても面白かったし、場合によってはシリーズ全体のターニングポイントになるのかも知れない。でもやはり、終盤に至るまでの過程はなんだか、水槽の中の魚がどこまで行けるのかこつんこつんとやっているのを見てるみたいな印象を抱いてしまって。

色んな人が真琴にコメントしているけど、さすが連れ添って長い凛子。

[(略)前から思っていたけれど村瀬くんの曲作りはわたしの音ありきになってしまっているから]

『楽園ノイズ』6巻p154

結局はこれだよね。思い返すべきは、周囲の人は多分最初から気付いていて、2巻の終盤ではそれ自体がテーマであるエピソードが描かれていたあのこと。つまり、結成からずっと真琴の生活の重要な存在になっていたPNOもやはり真琴にとっては「周辺」であって、中心ではないということ。
PNOはもう十分安定しているし、強固な存在になっている。だからこそ真琴にしてみれば、もう自身とPNOの間に線を引いても大丈夫だし引かないといけなかった。

凛子たちにしてみれば真琴はそこに注入された「核」であって、そこを中心に巡ることで運命が変ってしまった。でも真琴にしてみると、ちょっとそれに巻き込まれてた感があった。それを今回、勿論切捨てはしないけれどちょっと切り離すことで安定した。
6巻はそういう話だったように思う。

真琴のことは結構みんながわかっているけど、中でも凛子は読みが深い。その点では華園先生も理解者ではある。でも、この二人はだいぶ違う。
凛子は真琴と向き合っているのに対し、華園先生は同じような位置から同じ方向を見る、いわば同志に近い何かなのではないか。
真琴にとってこの6巻が上記のような話だったとして、華園先生にとってもやはり同じように仕切り直す話だったのは、多分偶然ではない。

思えば、どの巻も最後は華園先生との対話になっているように思う。
直接話をしている巻はそう多くない。でも、1巻では先生のチャンネルの存在を知ると共に先生のことに思いを馳せている。2巻ではそのチャンネルの新着、5巻でも先生の編曲した歌と。でも、この6巻のラストほど近しい感じで終るのは初めてなのでは。多分、これも偶然ではない、かな。
どうでもいいけどやたら高圧的にURLを知りたがったのって、チャンネル登録1人めになりたかったからだよねきっと。登録者数1人で「登録済み」になっている画面は多分そういうこと。

杉井氏の作品には高圧的な女性キャラが多く登場するけど、本作にはそれがない。強いて言うと姉がそんな感じだけどあまり登場しない。むしろ拓斗の方が?
で、立場的に近いのが華園先生だけど、その先生がそういうキャラでなく、真琴のファンというのがちょっと斬新かも。自身は真琴を導けるくらいなのに、同時にファンでもある、という辺りがなんかいい。
で、この6巻のラストでも、最初の登録者になって拳握り締めて「よし!」「やった!」とか思ってそう。

作品の紹介文からすると学園ラブコメっぽい展開にしか思えなかった6巻だけど、思いがけず鍵となる話だった。そして、考えてみるとこれだけ真琴の話ばかりの巻は初めてかも?
でもそうする必要があった、そのステップがなければいけなかった、そういう話だったと思う。

ただ、この巻は真琴の話であり、その問題が解決へ向かう中でのPNOメンバーのことがあまり描かれていない。なので、彼女たちがその時何をどう思っていたのかちょっと気になる。なんかアンサー編みたいなエピソードでも書いて欲しい気分。

最後におまけ。
6巻では真琴が探査機のボイジャーに想いを馳せてることからか宇宙をネタにした話がそこかしこに出てきたけど、中でも面白かったのは詩月の妄想。「白色矮星になってしまった太陽」ってw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?