『星座になれたら』感想 - しめくくり

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく』の最終話で聞いてからずっとはまっている劇中歌『星座になれたら』。これまでアニメ感想とともに触れて来ましたが、最終話放送からそろそろ二ヶ月になるので、いい加減ここらでまとめておこうかと思います。まあ、大の月の月末が二つ入っているので、日数的には半端なんですけど。

というわけで、主にその歌詞の解釈について、思っていることを書き連ねてみます。ただし、邦ロック的な背景について他の人が触れている点を見たりはしましたが自分ではさっぱりなので、ここでは避けることとします。

全体像

まず、この歌詞の構造について。

1コーラスめ……とかいう表現は打つのが面倒なので一番二番という書き方にします。その一番は、喜多ちゃんから見たぼっち、ぼっちを見る喜多ちゃんと考えています。そして二番は、ぼっちからの返歌のような、裏返しの構図。

Cメロで二人は出会い、サビのリフレインではまるで内緒話をするように語らっている。

この歌は自分には、そんな風な情景に見えます。まあさすがにそのまんまではなく、そういう構図をベースに書いたということなんでしょうけど。

一番:一人きりで輝くぼっち

6時。まだ一番星しか見えない時刻が描かれています。

ぼっちは喜多ちゃんと色々と話をしていて、彼女が「普通」であることを気にしていることも知っています。ここで描かれているのは多分、一緒にいた友達と別れて一人帰宅する途中なのでしょう。そんな時そんな喜多ちゃんは、普通の人達の光のあたる世界からちょっと離れてみたくなっている。キラキラの世界は楽しいけど、ちょっと暗いところに紛れ込んでみたくなる。そのような心情を描いたのでは。

喜多ちゃんがぼっちのことをどのように見ているかも、感じているでしょう。離れたところからでも輝いて見え、リョウにも虹夏にも認められ、いじられながらも愛されているぼっち。勿論、ぼっちはそのことを知りつつも、やはり「僕はずっと一人きり」だと感じているわけですが。

星座になれたら。

一緒にいることを夢に見て思い描いても、やはり遠い。それでも、一緒にはなれなくても線さえつながればなれる星座になら。そんな存在が、離れたところから見ても輝く一人ぼっちの星なのでしょう。

解題:実のところ、「どんなに眩しくても」は「あんなに輝く」を受けるようにも思えて、「いいや」以降はぼっちの言葉なのかなと思ったりもしました。でも、一つには単に一番二番で反転という構造の方が綺麗だと思ったのと、もう一つは後述のように言葉選びがまるで違うことから、ここは喜多ちゃん視点と解釈しています。ぼっちは意外と人のことを見ているし、喜多ちゃんの悩みも聞いているので。

二番:みんなと輝く喜多ちゃん

8時にもなれば、「満天の」星が輝いています。

星が一つしかない空とは視点がぐるりと入れ替わって、一人きりの星からみんなでキラキラと輝く星々を見ている。「8時」というのはそれを象徴する時刻なのでしょう。

しかし、一番とは言葉選びがまるで違います。
もうないかも。別れが来る。ひとりごと。消えていく残像。届いたら。こんな僕。
それでも、夢に見、思い描いています。

星座になれたら、と。

もし願いが届いたら、自分は変われるだろうか。連ねられている他の言葉とはただ一つだけ趣きが違う最後の一言が、踏み出す力になったのかも知れません。一緒になれば別れが来る。月は綺麗でも、一日も経てばつないだ線を振り解くように去っていってしまう。でも星座になら……と。

解題:「月が綺麗」のような成語が登場していますが、個人的にはこの詞ではそういう背景のあるものは紛れ込ませたくない気がしています。技巧的な表現ではなく、単に言葉通りの意味を伝えているだけの素朴さに真実が籠っていそうに思うからです。だからこの月は、別れの象徴として登場しているのでしょう。

出会い

Cメロでは、二人の出会いがさりげなく語られています。まさに、出会って「しまった」。そんな偶然の邂逅が、思いがけず訪れたのでしょうか。

解題:ここで歌声にかかっているエコーは、単に宇宙の拡がりを想起させる意図なのか、それともそこに二人いるということなのか。

「星座になれたら」。

サビのリフレイン部分、出会ってからは、この言葉の意味が大きく変っています。それまでは、もしもを夢想する言葉だったのが、ここでは想定になっています。つまり、「なれたらいいのに」が、「なれたらこうしようよ」になっているのです。たとえ絵空事に過ぎなくても、それを二人で、いやもしかすると8時の夜空に輝いている沢山の星々と一緒に描けるかも知れない。

だから、星座になりたい。

願いを、そして解かないという意思をはっきりと言葉にし、述べています。たとえ何億光年も離れていても、星座になれたら何かが変わるかも知れない、だから、とここで高らかに宣言しているわけです。

解題:ライブの一曲目『忘れてやらない』では、どこまでもひねくれた表現ではありますが、今のことを死ぬまで忘れないと言っています。そんな忘れたくない今とは、星座になれたと感じられている今なのではないでしょうか。なりたいと思い描いたからなれた。だから聴いているあなたも。『星座になれたら』は、そう語りかける歌なのかも?

P.S. 宴の後

文化祭のライブで歌ったのだから当然、作ったのはライブの前であるわけですが、ちょっと思うのです。もしかすると歌った後には既に、気持ちは変化しているかも知れない。ぼっちや喜多ちゃんらは、星座どころか星団になれたかも知れない。例えば、星座でもかみのけ座のように。

解題:まあさすがに前述のように、ぼっちが喜多ちゃんと自分のことをそのまんま詞にしているということはないでしょう。ただ、その関係の中に、感じ、伝えたいことがあったことは間違いないのでは、と思っています。ライブの後に喜多ちゃんの決意が描かれているということも含めて。


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