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ツイッター歴8年

ツイッターのプロフィール欄を見たら「2013年6月からTwitterを利用しています」と書いてあった。僕はそろそろツイッター歴8年を迎えるらしい。

僕はいま25歳だ。人生のだいたい三分の一というと、その時間の長さにおどろいてしまう。それと同時に、どれだけの時間を無駄に過ごしてきたのだろうと不安になる。僕がツイッターをはじめたタイミングで産まれた子どもがこの春小学三年生になったと考えると、その重さが分かるだろう。ツイッターに一切ふれず、資格試験でも勉強していたらいまごろ弁護士ぐらいにはなれたかもしれない。たぶん、ほかに時間の浪費方法を見つけて、けっきょく同じ結末を迎えていたのだろうけど。

8年もツイッターを眺めていると、いろいろなひとに関わる。仲良くなって定期的に遊ぶようになったひともいれば、ご自宅に招いてくれたひともいる。プライベートな話はあまりしないし、本名も知らないから、この関係性をなんと呼べばいいのかわからない。でも、ツイッターをやっていなければ確実に交わらなかったひとたちとこうやって楽しくやれているのは運命と言っていいと思う。ツイッターだって、使い方によってはそんなに悪くないツールだ。

とはいえ、ツイッターでフォロイー/フォロワーの関係になるひとのほとんどとは出会ったことがないし、おそらく出会わないままどこかでぷつりと繋がりは途絶えるのだろうと思う。いちど出会ったとしても、そのまま再会することなくツイッターを去ってしまったひとだっている。片手に握りしめたその小さなコンピューターでしか存在を知り得ない、ひとつの「データ」でしかない人間の生態を、僕は毎日眺めている。

でも、そんな関係とも言い切れない関係のひとの存在が、僕には心の支えになっている。あるひとは、どうやら小さな会社の社長をやっているらしい。いつも映画や文学の深い知識を語っていて面白いなとツイートを見ているけれど、こんな話をだれかに聞いてもらえるのはツイッターしかないのだと嘆いていた。また、あるひとは僕の父親と同い年ぐらいで、とても繊細な心の持ち主である。僕は彼の紡ぎ出すことばをつねに待ち構えているし、時々書いている小説も読んでいる。深夜にひっそり潜り込んだツイキャスで過去の恋愛遍歴を語ってくれたひともいる。顔も名前も住む場所も知らないけれど、僕はそのひとの人生のアルバムのいちページを、覗き見したのだ。彼女とデートしていたら、ばったりフォロワーに出くわしたこともあった。あるいは、たまたま参加したオフ会で公開プロポーズに立ち会ったことがある。ふたりは見事その場で婚約を果たした。彼らと直接会話したのはそれっきりだったけれど、先日、第一子が産まれたよろこびをツイッターで報告していた。どうやら僕はひと組の夫婦のターニングポイントに立ち会ってしまったらしい。おそらく、その事実を気にしているのは僕だけだろうけど。

逆に、結婚を機にツイッターを去ってしまったひともいる。いや、去ってしまったはおかしいかな。「旅立った」のほうが正しいかもしれない。仲良くなってよくリプライを交わしていたら、ある日、僕のつぶやいた岩井俊二の悪口のせいで絶交されてしまったひとがいる。また、たびたびオフ会で会って話したり、いっしょに飲みに行って気前よくご飯をおごってくれたのに、ぱったりとツイッターを辞めて、そのまま消息不明になってしまったおばさんもいる。あれだけ熱心に映画ファンとの交流を大事にして、イベントの主催までしていたのに。一体なんの理由でどこに行ったのだろう。いまさら分かるはずもない彼女の近況を、僕は時々気にかける。

リアルの関係のひととしか交換していないインスタグラムやフェイスブックには、かつて「友だち」や「同僚」だったのに、もはやつながりを失ってしまい、「知り合い」以下になってしまったひとがたくさんいる。僕は絶対に再会することはないだろうと思いつつ、彼らにインスタグラムのストーリーでスタンプを送ってみたり、ダイレクトメッセージをやり取りしてみたりする。「友だち」だった頃には知らなかったそのひとの趣味や価値観に触れて、ああ、あのときそうだと知っていたらもっと仲良くなれたのかもしれないのに、と悔やむこともある。だけど、僕はいまさら「知り合い」に声をかけて、ふたたび「友だち」になる術を知らない。だったらいっそツイッターのフォロワーと直接会って、いちから関係性を構築するほうがうまくいきそうだと思ってしまう。

名前も顔も声も知らないSNS上のフォロイー/フォロワーでしかないひとたち。でも、彼らはみんな生身の人間で、バイト先の気になる異性との接し方で悩んでいたり、親族がコロナで生死をさまよって毎晩神様に祈ったり、日々の労働にグチをこぼしたりしている。そして、僕は毎日その膨大な「情報」にふれているのだ。僕が彼らの人生に介入することはできない。だから、ただ、ひたすら祈る。おそらくみんな一生僕と会うことはないだろう。ツイッターがなくなったらこの脆いつながりすら消えてしまう。でも、それでいいのだと思う。SNS上の関係は、ちょっと寂しいぐらいがちょうどいい。

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