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意識が高い人より、心があたたかい人を目指した方が幸せ

勝ち組・負け組とか「意識高い」とかの言葉が世の中に浸透してから、結構経ちますが、みなさんは、どのようなイメージをお持ちでしょうか?

ボクは、この言葉を聞くたび、めちゃくちゃ気分が悪くなります。

親しい人でこういうことを言う人がいないので(お花畑族の人々が言ってるけど)、情報商材とかのビジネス関係者が、流行らせたんじゃない?って個人的に思っているわけです。

競争・見下しの気持ちが伝わってきて、そこに「謙虚」「他人の気持ちを思いやる」「配慮」の要素が全くといっていいほどないような気がします。

そもそも、何のために自分を向上させたいのか?って考えてない

自分を磨くのはとても良いことです。

ところが、自分アピール・自分が得する・自分が注目をあびることを目的としてやるのは、行動の効果が半減するのでもったいないんじゃない?って思うわけですよ。

「自分を向上させたい」
「成功したい」

その動機は、ほとんどの人が承認欲求からです。

もちろん、ボクにも承認欲求はありますから、それを色んな自分自身の体験で手放している最中なんですけど...

ま、ほんの少しでいいから、自分を向上させた延長線上に、「社会を良くする」「人の役に立つ」という結果を見て欲しいです。

人間は、他人と関わって生きてるので、相手の気持ちがわからないと生きづらくなります。

そしたら、せっかく自分の意識を高くしても、それを活かす場面が減ってしまう、というものではないでしょうか?

得意・不得意、できる・できないは個性だと思うんです

相手の気持ちがわかるというのは、ボクが題名にもつけた「あたたかい」という部分になります。

人間は、みんな年を取っていきますが、「自分は意識が高い」「人より上」と思っていると、いつまでたっても、他人の行動に対して、無理解・批判を示す人になります。

人間は、個性があって、得意・不得意があります。

できること・できないことも、人によって様々で、「できる」から偉いとか「できない」からダメとか、そういうことではないんです。

でも、高い所に自分を置きたい人は、自分ができることを他人ができないと「何でできないんだ」と思い、他人ができることを自分ができない時、「別にそんなこと、できなくてもいい」と思うわけです。

そこには「冷たさ」があって、他者を突き放す考えです。

それは、年齢を重ねることによって得られる「深さ」「寛容さ」とは、真逆にあるんじゃないでしょうか?

根拠のある自信は、脆く崩れやすい

本当の意味で、意識が高い人は、自分で自分を「意識が高い」と言わないし、他人を「意識が低い」と判断することもありません。

人間は、エネルギーを生み出していますが、他人との分離を含む考え方(見下し・他者批判)をするのは、個人的におすすめしません。

ま、スピリチュアル世界は多いのかなぁ。

そういう「冷たさ」は、内面のエネルギーの流れを堰き止めるので、自分の良さに気づけなかったり、自分に対する自信が減ってしまうんですよね。

そうすると、他者を批判することで自分の価値を認めようという傾向が強くなります。(弱い犬ほどよく吠えるということわざですかね。)

また自分に自信がある人でも、その自信は、達成できたこと・所持しているものに根拠を置くので、何らかの変化が起きた時に崩れやすいです。

すべてのものは、変化し移ろうので、自分では良いと思っているもの(こと)の価値も増減します。

なので、自分のことを「意識が高い」と思っている人は、根拠が崩れた時・他人からの承認が得られない時に精神的な落ち込みが激しいのです。

個人的に「あたたかい」を目指せば、自然と意識は高くなるって思う

「あたたかい」は、とても維持が簡単だと思う

自分の内側に「あたたかさ」を増やせば、それが行動にあらわれます。

「他者に対する理解」を伴う行動ができるので、自分も他人に理解してもらいやすいです。

また行動に「深み」が出るので、年齢を重ねた時に「味のある」人になります。

常々思うことは「かっこいい」「きれい」を維持して生きるのって大変だと思うけど、「あたたかい」は一度ものにしてしまえばその後の維持がすごく簡単ということです。

たとえば、長いことボランティアをされている人います。すると、だんだんと規模が理解できないレベルになっています。

人に尽くすことが、呼吸することと同じになってるんですね。

ボランティアされてなくても、その人自身は、素敵な人なんですが、行動していることによって、外見だけでなく、中身も素敵になり、意識が高いって、こういう人を言うのだと思うんですよね。個人的に...

寄付しなくても、思いやり・理解を示すことも「あたたかい」行動だと思います。

与えよ、さらば与えられん

いかがでしたでしょうか?

ま、兎にも角にも「あたたかい」人を目指せば、自ずと意識が高い人になれるのです。

自分から意識の高さを発信しなくても、自分で「意識が高い」と思ってなくても、他人がちゃんと見てくれるものです。

まだ、他人に伝わっていない、認知されないのであれば、「あたたかさ」を増せば、その温もりは自ずと伝わるはずです。

もしも、他人が見てなくても、自分自身が見ているんです。

誰も見てなくても、あたたかさを維持できたら(与える)、与えたものが自動的にかえってくるのです。

参考記事

どう考えてもどう転んでも「与えよ、さらば与えられん」は法則でしかない

前回、書いた記事もご参考にどうぞ...

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