なんか最近街にハッカーみたいな格好する人増えたなーって思う。デジタル社会だからね。そりゃそうか。
四面楚歌の状況に自分で自分を追い込んでしまった。何をやってるんだろうと、自分で呆れる。 もう仕方ないから、とりあえずやれることをやるだけだ。あとはどうなるか、、、神のみぞ知る。
これから、AIがどんどん発達して、あと20年後、(もっと早いかも)精神転送が出来る時代になるらしい。そうなった場合、権力、地位などは意味が無くなり、心の崇高さだけが意味を持つものになるだろう。
努力は大抵報われない。 努力しないで成功する人だっている。 でも、努力は報われないことを、努力することで悟ることが出来るから、努力はある意味報われる。
今までは、上司から言われたことを、何も疑問を持たず、ただ忠実にこなせばいい時代だったけど、これからの時代は、自分で考えて動かなければならない時代になったんじゃないかなぁと思う。
失う一方で何かを得ている。 こんな簡単なことになぜ今まで気付かなかったのだろうか。
30代後半から、人生の難易度は一気に上がる。自分の見た目の老化、体調の変化、新しい時代に適応できなくなったり、打たれ弱くなったり。そして親の老化を目の当たりにするショック。他色々。私はこれからも強く生きていけるだろうか、、、。窪塚洋介が昔、言ってたな。「諦めた奴、無知な奴から死んでいく」って。今になってこの言葉の意味が分かる。時代はどんどん複雑化していって、頭の悪い人間は取り残されていくのさ。私まだ38なのに、悲観的過ぎだろ、と自分でも思うのだけれど、、、。
老化は緩やかに来るものではない。ある日を境にジェンガが崩れるように立て続けに崩れ出すのだ。 だから心が追いついていかない。最近の親の老化はそんな感じで、私はもう毎度毎度ショックを受けるのに疲れてしまった。最近は親のことばかり考えて、自分の好きだったことも忘れてしまった。これからも親は歳を取っていく。何か心の持ち方を考えないと、自分が壊れてしまう。
この歳になると、若さの喪失、親の老いなど、失うことが多くなって、寂しさを感じることが多くなった。そんな中で、自分の心の変化に気付いた。昔は美人やイケメンが好きだったが、今はあまり容姿が整ってなくても明るい人が好きになってきた。たまにいるじゃん?めっちゃ元気で明るい人。ああいう人に遭遇すると、すごく心が救われる。
親がどんどん老いていく寂しさ。もう頼れる存在ではなく、私が親に頼られるようになった寂しさ。前は言い返したらあっちも言い返してきたのに、しゅんとするようになってしまった。何も言えなくった。兄も自分も中年になった。体力もメンタルもなくなってきた。ああ、人はこうやって、死に向かっていくんだな。親が死んだら私は独身だから、誰も頼れる人がいなくなるんだ。子供がいれば、寂しさも柔いでただろうけど。犬でも飼おうかな。でもお金かかるし、行動も制限かかる、、、今のうちに、コミュニティに入ってお
38歳、とうとう無理が効かない身体になってしまった。ちょっと無理するとどこかが体調悪くなるし、メンタルも、傷ついたら回復までに時間がかかるようになってしまった。だから自分を大切にしてくれる人としか付き合えなくなってしまった。でもある意味、これはいいのかも。自分に正直に生きれるようになった証拠だ。やりたいこと、正しいと思うことだけに集中出来るということだから。若い頃は外部からの評価ばかりを気にしていたが、今は自分がどうしたいかを最優先に考えるようになった。