ラグビーでトンガと日本を繋いだ又平直子さんとネリマロッジ
トンガでの火山噴火を受けて、ラグビー界の方々がオンラインイベントを企画されています!予定調整してぜひ参加したい。ラグビーレジェンドたちかっこ良い。。
▼タウファ統悦さん、廣瀬俊朗さん、真壁伸弥さん登壇
▼ラトゥ ウィリアム志南利さん、マヘ トゥビさん登壇
災害が起こっても時間が経つと話題性も下がり、僕自身忘れそうになってしまいますが、中長期的に動くことも大事。
さて。タイトルに書いた「ネリマロッジ」
トンガにあるゲストハウスで、その名前を聞いた時に「練馬」を思い出しました。
まさかな…
なんて思ってたら、先輩隊員からネリマロッジは日本人が開いた宿であると聞きます。
そして、湊かなえさん著『絶唱』の登場人物”尚美さん”のモデルになった人だよと教えてもらいました。
”尚美さん”は『絶唱』の登場人物の中でも物語のキーとなる人で、
最終章まで読むと、このトンガを舞台にした小説が、湊かなえさん自身がモデルというか、自叙伝にも思えるんだけど
”尚美さん”、いや、又平直子さんへの湊かなえさんの想いが綴られた手紙なのではないかと思います。
どんな人なのだったのだろう?
2010年に亡くなられているので、直接会うことはできません。
そしたら、先輩隊員から録画したテレビ番組を見せてもらいました。
関ジャニの「ありえへん∞世界」でトンガが取り上げられた回が2014年にあったのです。
そしてその回で又平直子さんが紹介されていました。
ーー
なぜ、又平直子さんはトンガと日本を結ぶことになったのか。
トンガを旅行していた直子さん。
そこでトンガ人男性のタシさんが直子さんに一目惚れして、交際スタート。2年の遠距離恋愛を経て結婚。
ステキ。
結婚を機に練馬区のアパートで暮らしを共にして会社を設立。
それが冒頭の「ネリマロッジ」の由来でもあるそうです。
会社が軌道に乗りかけた頃、1995年、日本で大震災が発生します。
阪神淡路大震災
タシさんはテレビで震災の現実を見て、居ても立っても居られず、単身被災地に向かいます。
全ての仕事を直子さんに任せて。
タシさんはボランティア活動を行い、被災された方々を元気づけていたそうです。
文字にすると簡単ですが、被災地に単身飛び込んで活動するなんて、なかなかできることではないと思います。
タシさんの優しさ、強さを感じます。
少し長いですが、タシさんについて書かれたブログから引用いたします。
しかしその後、タシさんは末期の肺がんを発症してしまいまい、そして、息を引き取ります。
体型に恵まれたトンガ人たちを日本のスポーツ界で活躍させたい、という想いを直子さんに託して。
夫が震災の時に、日本人のために頑張ったように
今度は自分がトンガ人のために頑張ることを直子さんは決意したのです。
遠い異国の地で、女性一人、頼る人もいない中、「夫の夢を叶える」という強い意志を胸に苦しい中でも行動を続けます。日本の大学へ電話をかけても、当初は未知の選手を受け入れてくれる大学はなかったそうです。何度断られようとも諦めずに電話をかけ続けたそうです。
ラグビーボールやスパイクなどの道具を買い揃えトンガのチームに寄付を行い、借金してトンガに「ネリマロッジ」というゲストハウスを設立。そのロッジで働きながら才能があっても貧しい選手たちを引き取り面倒を見ていました。
その一人が、冒頭のタウファ統悦選手。
直子さんが日本の大学に交渉を始めてから5年後、日本の大学がトンガ人のラグビー選手を受け入れてくれる事になりました。しかし、トンガが大不況になって、渡航費が足りなくなってしまい、直子さんはタオバラと呼ばれる民族衣装を睡眠時間を削り毎日編み続けたそうです。
睡眠時間が毎日2~3時間、それを3カ月も続ける。
えげつない努力。
ラグビーファンの方はご存知かもしれませんが、トンガ出身の日本代表選手のパイオニア的な既にいらっしゃいましたが、それでもまだパイプが強くない時に尽力された直子さんの努力は想像を絶します。
2001年4月、直子さんの仲介で日本大学にトンガ人のラグビー選手が入学。日本の大学におけるトンガ人ラグビー選手の礎となりました。またラグビーにとどまらず、更に2人のトンガ人力士を日本の相撲部屋に入れたそうです。
しかしその後、直子さんは夫と同じ末期の肺がんだと宣告されました。そして2010年6月、51歳で息を引き取ります。トンガ郊外には直子さんの墓があり、備えられた1つのラグビーボールには「ありがとう直子、私たちはあなたの事を忘れない」と書かれているそうです。現在も日本ラグビー界で多くのトンガ人選手が活躍していて、ラグビーW杯での大活躍や、トップリーグを引っ張る存在になっています。すげぇよ。
おそらくですが、スポーツ選手にとどまらず、現地のトンガ人や、湊かなえさんを代表するように青年海外協力隊たち、もしかしたら駐在員の皆さんも直子さんのお世話になっていたかもしれません。まさしく草の根のような、大変地道な活動をし続けたからこそ、東日本大震災の時にトンガから多くの支援金をいただき、今度は日本からトンガのためにできることを関係団体や個人の方々が動かれているのだと思います。
まさしくトンガと日本の架け橋となった彼女を思い出しつつ、引き続きできることをやっていこうと思います。
Malo for reading.
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