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我想う、故に君あり

2023年、舞台はじめ。

もる子です。


「幽霊はここにいる」見ました。
舞台を1度見て、パンフレットは神ちゃんの顔が載っているページを眺めただけという感じなので咀嚼できていない部分もたくさんありますが、140字じゃ纏まらない感想を残しておきたいと思ったので、ひさしぶりにnoteを書きます。


ネタバレをガッツリ含むので、ここから下は閲覧注意でございます。










「幽霊はここにいる」、戦後を舞台にした話なのにすごく共感できる部分もあったというか。これは私がよく知っている話なんじゃないかと思ったんですよね。

特に、私的に印象的だったことは
1つ目が
「物の価値は誰かがいくら金を払うかで決まるんだ」っていう大庭のセリフ。(うろ覚えです)
2つ目が
深川に見えていた幽霊は、深川の精神的な歪みの産物であって実際には存在していなかったということ。

深川に見えている幽霊にはハッキリした価値がついていないからこそ、大庭たちはいくらでも価値を付けられるし、実際に幽霊商売で利益をあげちゃってる。で、そこに翻弄される市民たちがいて…………
ここが資本主義社会の怖さで、この物語の面白さでもあると思った。

でさ、本題なんだけどさ、

この物語の主役を神山智洋がやるのバカ怖くない……?
彼の本業は「アイドル(=虚像)」なんだよ??
すげぇ皮肉じゃない……?

私の自担は「アイドル」という言葉をすごく嫌うから余計に際立ってるのかもしれないけど、結局、アイドルって虚像であって実在するものではないんだよな。

人間にハッキリした価値はつけられないから、いくらでも値がつく。

私の自担は中間淳太なので、ここからは中間淳太に置き換えて話すけど。

淳太くんは、「大衆にみせられる、アイドルとしての中間淳太像」を作りだしてそれを売っている。
私は、その「中間淳太像」を気に入ってそこにお金を払っている。


淳太君そのものは幽霊とは違って目に見えるし、(ヲタクには許されていないけど)多分触ろうとしたら物体として触れると思うから、(妖精さんだから触れない可能性もなくはない)、余計ややこしくなるけど、「中間淳太像」には触れなくて。

淳太くんが『アイドル辞めます!』って言ったら、全て無くなっちゃうものなんだよね。深川が鏡を見た時みたいに、私が夢から醒める瞬間はきちゃう。

となると、もう「目に見えるから実在する」という考え方に私は納得がいかなくなって。そうするとさ、自分の存在すら怪しくなってくるじゃん。何なら信じられる?何を信じたらいい?

(ここに書くのも悔しいけどさ、非ヲタに言われる「アイドルにお金使って何になるの?」を神ちゃんから問われているような感覚になった。神ちゃんの本意じゃないことは承知の上ですけど)

そんなことを考えながら、雲の上をふわふわ歩いてるような感覚で森ノ宮駅まで戻りました。

で、観劇から2日経って、今ね。
「最初から存在しなかったんでしょ。構わないわよ。」と思ってる。もう気持ちはモデル嬢。私は、私が信じたいものを信じるわよ。愚かなのかもしれない。だけどさ、"信じるものは救われる"メンタルの何が悪いんだ!
私の中に「中間淳太像」を好きだと思う気持ちがあるから、それでいい。
私の中にある「好き」の気持ちが実在しない、なんて悪魔の証明は絶対に誰にもできないんだから。

淳太君はここにいる
君想う、故に我あり。 我想う、故に君あり。

そんなマインドで、社会の流れに飲み込まれて翻弄されながら、2023年も元気にヲタクをやっていこうと、思いました。٩( ᐛ )و


【追記】
上に書いたことはこの舞台を見て私が1番強く思ったことで、他にも色々と考えました。
私自身は信じるものは救われる説に縋って生きていきたいけど(笑)、劇中で精神を病んでいない一般的な市民たちが幽霊を生み出して幽霊商売を続けようとするところにものすごい地獄みを感じています。コレだけは自分の忘備録的にメモしておきたかった。


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