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 人は生まれる場所を選べないから、枯れた土地に生まれた場合、運命の岐路に立つことすらできず、豊かな場所があることも知らないまま生涯を終えるひとだって、いるだろう。
 もちろん、枯れた土地にだって、そこにはそこなりの幸せや充実もあるはずだ。
 でも、両者のきっぱりとした分かれ目に運悪くたどり着いてしまったとき、僕はシンプルに、イージーな方に生まれられたら良かったのになと思った。
『隣の芝は青い』なんていうのは、平等の上で成り立つ言葉であって、『自分の家も悪くはない』という前提が無ければ、ただただ、恵まれなかった者に残酷なポジティブシンキングを強いることになるだけである。
 余裕の勝者が生み出した言葉なんだろうな。
 僕たちはいつも、枯れた土地で絶望と消耗を繰り返しているし、環境のせいにするなと豊かな人々に言われるのが、何より理不尽だ。
 ……とはいえ、その豊かに暮らしているひとたちも、望んでそこに生まれたわけでもなく、平等を愛すことを当たり前のように植え付けられて育っているのだから、元々非道な人間というわけではないはずだ。

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