怪異には失礼のないように 幻のエピローグ

『江戸落語奇譚 〜怪異には失礼のないように〜』でボツになった、幻のエピローグです。
短の語りにしようとしましたが、トリッキーすぎるのでやめました。


 こんにちは。文筆家の青野短です。もうすぐぴこさんが手伝いに来てくださるはずなのですけれど、ちょうど原稿を書き終えて暇なので、最近のことをしたためてみようと思います。
 まず、ぴこさんは、お友達ができたそうです。ひとりは、ミスター四谷大学の青年で、いただいた相談を縁にお茶をして、仲良くなったのだそうです。たまに遊びに誘われるようですが、毎回『緊張する』『着ていく服がない』『知らない人を連れてきたらどうしよう』と頭を抱えているので、微笑ましく思っております。
 そしてもうひとりは、呉服屋の娘、柳道子さん。なんだか懇ろな仲のように見えますけれど、ぴこさんは『そんなんじゃないです』と言い張っています。恥ずかしいのでしょうか。道子さんの方が積極的に見えます。
 それから、最近僕は、ぴこさんと花札をして遊ぶようになりました。少しずつルールを教えているのですが、とにかく運が良くて、どんどん良い札をとっていくので、たまに、ふてえ野郎とはこのことかなと思ってしまいます(もちろん、ご本人には内緒ですよ)。
 そうそう、あと、記念に書いておきたいことがありました。彼が初めて揃えた役が青短だったのですが、どうしてかと聞いたら、『それしか覚えられなかったんです……』なんて恥ずかしそうにおっしゃったのです。なんて可愛らしい子なのかしらと思いました。
 新三郎たちのことも書いておきましょうか。
 無事一緒になった新三郎とお露さんは、谷中霊園の片隅に居を構えて、慎ましやかに暮らしています。我が家からすぐ近くですので、新三郎は毎日うちへ来ています。
 五年間、『お露さんと会えたらそれきりお別れかしら』と思いながら過ごしておりましたので、寂しくならずに済むのだと思うと、とてもうれしいです。
 そして最後に私事ですが、つい先ほど書き終えたのが、新しく出す本の原稿なのでした。
 タイトルは『言葉は怪異を生むか』という、少しお堅いものです(編集からは、絶対に改題した方がいいと言われましたが、わがままを貫いてしまいました)。
 本書では、明らかに創作であるはずの落語がなぜ怪異になるのか、色々な角度からひも解くことを試みています。
 はっきりとした結論は、書きませんでした。なぜかというと、きっとこれは、人間の常識では導き出せない命題のようなもので……要するに、勝手に決めつけては、怪異に失礼だからですね。
 僕が考えた仮説は、人が語り継いでいくなかで、物語が本物の何かを生んでしまうのではないかということです。簡単に言えば、嘘から出たまこと、ということでしょうか。
 偉大な噺家が作ったものを、後世の方々が大事に語り継いでいくなかで、それが魂をもって生き生きと本物の怪異になることは、大いにあり得ることではないかと思います。
 長年怪異と向き合ってきた僕の、とりあえずの仮説はこれですが、これからも、研究はこつこつと続けていきます。
 さて、そろそろぴこさんが来る頃ですので、筆を置きます。
 きょうは彼の好物の焼き鮭なので、もりもりと幸せそうに召し上がるところが、目に浮かびます。そんな彼と食卓を囲めるのは、僕も幸せですよ。

採用されたエピローグはこちら↓
https://kakuyomu.jp/works/1177354054895042144/episodes/1177354054896586152

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