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教育政策研究におけるデジタル・シティズンシップ概念の可能性

はじめに

この記事は2021年7月11日の日本教育政策学会での報告「教育政策研究におけるデジタル・シティズンシップ概念の可能性」の発表用原稿を元にしています。まずデジタル・シティズンシップの定義を確認いたします。そして次にデジタル・シティズンシップ教育政策の3つの側面について書かれています。最後にまとめがあります。また、学会報告後、東洋経済ONLINEに関連記事「デジタル・シティズンシップ教育広がる納得理由」が掲載されています。

今日の教育政策には多くの部分にデジタルに関する政策が含まれていますが、残念ながらこれまで教育政策研究はこの点に関して十分な知見を蓄積してきたとはいえません。私は、デジタル・シティズンシップ概念がその課題の解決の鍵となると考えています。

デジタル・シティズンシップの定義

まず、デジタル・シティズンシップの概念ですが、欧州評議会の定義がわかりやすいと思います。それによると、「デジタル・シティズンシップとは、効果的なコミュニケーションと創造力を用いて、デジタル環境に積極的、批判的かつ的確に関わり、責任をもって情報技術を用い、人権と尊厳を尊重した社会参加を実践する能力」です。

欧州評議会の「デジタル・シティズンシップ教育研修者パック」にはもっとシンプルな定義が掲載されています。それによると、「デジタル・シティズンシップとは、デジタル技術を利用して社会に積極的に関与し、参加する能力」です。重要なのは、デジタル以外の民主主義的なシティズンシップと共存し、相互に影響していると明記されている点です。つまり、デジタル・シティズンシップは、デジタル世界だけのシティズンシップではありません。そして、社会的・政治的な目的を持って行われたり、社会的・政治的な影響を与えるようなデジタル活動は、シティズンシップ活動であると書かれています。

さて、日本ではこの2冊の本でよく知られるようになりました。1冊目は昨年12月に大月書店から出版された「デジタル・シティズンシップ コンピュータ1人1台時代の善き使い手をめざす学び」です。蓋を開ければ1ヶ月で初版が売り切れてしまい、増版するまで入手できないという状態が1ヶ月ほど続きました。現在は第3版となっています。

そして2冊目は今年の5月に出版された「デジタル・シティズンシップ教育の挑戦」です。こちらは日教組の委託を受けて教育文化総合研究所が組織した研究会の報告書となっております。デジタル・シティズンシップ教育の内容についてはこれらの本を参照していただければと思います。ここではデジタル・シティズンシップの特徴をいくつか挙げておきます。

デジタル・シティズンシップはグローバルスタンダードであり、ユネスコやユニセフ、OECD、欧州評議会などの国際機関の教育理念の一部です。当然ですが、デジタル・シティズンシップは新自由主義やSociety5.0とは関係がありません。一方、デジタル・シティズンシップは、SDGsとの親和性が高く、学習指導要領の理念と重なる部分があります。

また、デジタル・シティズンシップにはメディアリテラシーや情報リテラシーの概念が含まれています。そして同時に、シティズンシップ教育としての批判的思考育成を重視しています。さらに、コモンセンスエデュケーションなど、良質の教材や指導案が豊富ですぐに使えるという利点があります。コモンセンスエデュケーションのカリキュラムや教材はアメリカの公立学校の6割が採用しています。現在、著者グループが日本語化と日本の学校に合うようにローカライズを進めています。

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デジタル・シティズンシップが登場した経緯を簡単に説明します。一つは保護主義からエンパワーメント主義への転換です。2007年にiPhoneが発売されましたが、同じ時期に全米メディアリテラシー教育学会(NAMLE)や国際教育テクノロジー学会(ISTE)、ユネスコがエンパワーメント主義への転換を明示したプログラムや文書を発表します。

ISTEがデジタル・シティズンシップを情報教育基準に取り入れたのはこの時期でした。それまで学校は子どもたちのオンライン活動には一切関わらないという方針を取っていましたが、それでは子どもの安全を確保できないことがわかり、方針を変更してオンライン活動に必要なスキルを育成すべきだという考え方に変えたのです。

そして、ちょうどこの頃、アメリカのフェイクニュース対策教育を主導するニュースリテラシープロジェクトが設立されています。また、2010年に、コモンセンスがハーバード大学のプロジェクトゼロと協力してデジタル・シティズンシップのカリキュラムと教材の開発を開始します。

2013年に全米各州でデジタル・シティズンシップとメディアリテラシー法の制定をめざしているNPOであるメディアリテラシーナウが設立されます。2014年には、欧州評議会が「民主主義のためのコンピテンシー」委員会を設立し、デジタル・シティズンシップ教育政策の構想を始めています。欧州の場合、出発点は教育工学ではなく、シティズンシップ教育であることを理解しておく必要があります。

もう一つの大きな展開は2016年以降に起こります。この年、トランプがアメリカの大統領選で当選し、フェイクニュースが大きな話題となりました。翌年、アメリカのワシントン州でデジタル・シティズンシップ法が制定されます。そして2019年にはアメリカとヨーロッパでデジタル・シティズンシップ・ハンドブックが発刊されました。さらにOECDやユニセフもデジタル・シティズンシップを含む教育政策を発表します。デジタル・シティズンシップ教育政策はアメリカを起点として、ヨーロッパに展開し、そして全世界へと拡大したことがわかります。さらに2020年にはハーバード大学バークマン・クレイン・センターがデジタル・シティズンシップ・プラスに関する報告書を公開しています。

昨年、新型コロナウイルス感染症パンデミックが世界に広がり、現在もなお続いています。その最中、今年の1月6日に、アメリカの議事堂が占拠される事件が起こりました。この事件はアメリカにとって陰謀論による分断を象徴するショッキングな出来事でした。1月21日付の「タイム」は「サイバー・シティズンシップ教育は国家的優先事項にならなければならない」と題する記事を掲載しました。ここでいうサイバー・シティズンシップはデジタル・シティズンシップと同じものと考えても良いでしょう。

そこには次のように書かれています。「デジタル化が進む今日の社会の一員として責任ある行動をとるためには、新たな「サイバー・シティズンシップ」のスキルが必要となります。これは、オンラインの詐欺や個人情報の盗難から身を守る必要性をはるかに超えるものです。このスキルは、米国市民であることの意味の核心に迫るものでなければなりません。」つまり、デジタル・シティズンシップは今や民主主義の土台に位置するものとして広く認知されるようになりました。

アメリカの連邦下院議会では、新型コロナウイルス感染症におけるデジタル・シティズンシップ・タスクフォースが作られていますが、その3つの柱の一つは「オンラインで見たものを批判的に考え、偽情報を見分ける方法を学ぶ」というものです。このようにアメリカにおけるデジタル・シティズンシップの議論はメディアリテラシーと強い関係があります。現在アメリカでは自治体やNPO、企業などの団体がデジタル・シティズンシップを推進するためのより大きな組織であるDigiCItCommit連合を設立して活動をしています。この組織は包摂、情報力、活動参加、バランス、アラートという5つのコンピテンシーを育成するプログラムを推進しています。

GIGAスクール構想との関係

さて、次にデジタル・シティズンシップ教育政策を3つの側面から話したいと思います。一つは「GIGAスクール構想」との関係です。二つ目はシティズンシップ教育との関係、そして三つ目は文科省および中教審との関係です。

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今年に入ってからGIGAスクールとデジタル・シティズンシップについて報じられた記事や雑誌の特集のリストです。教育工学関連の記事もあれば、一般紙や教育紙の記事もあります。これらを読むとGIGAスクール構想とデジタル・シティズンシップを組み合わせた記事が多いことがわかります。特にクレスコ7月号にはGIGAスクール構想批判の記事が多いのですが、その中で大月版「デジタル・シティズンシップ」の共同執筆者の一人である今度さんのデジタル・シティズンシップに関するインタビューが掲載されており、大変興味深いことだと思います。

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もっとも早くデジタル・シティズンシップを教育政策に取り入れた自治体は大阪の吹田市です。大月書店の本が出版されるよりも前からデジタル・シティズンシップを教育政策に取り入れようとしていました。ここで参照されている論文は2018年に私と今度さんが書いた論文ですが、この論文が中教審の分科会で紹介されたことがきっかけだと思われます。文科省の情報モラル教育を批判した箇所がそのまま引用されています。また、2020年12月1日の「教育だより」や2021年4月に発行された保護者用パンフレットにもデジタル・シティズンシップ教育の推進が明記されています。これらを読むとGIGAスクール構想と組み合わせて推進されていることがよくわかります。

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こちらは「教職研修」3月号に掲載された広島県の平川理恵教育長のコラムですが、「GIGAスクールでPC1人1台が実現されるが、シティズンシップとデジタルは切っても切れない関係にある」と書かれています。GIGAスクールとシティズンシップ教育を繋げようとする考えを見ることができます。6月6日、New Education Expoで「GIGAスクール時代のデジタル・シティズンシップ教育」と題したシンポジウムがありましたが、そこでは平川さんとカタリバの今村久美さん、デジタル・シティズンシップの著者の今度さんの3人が揃ってデジタル・シティズンシップ教育について議論する場がありました。そこでもシティズンシップ教育としてデジタル・シティズンシップ教育を位置付けるという考え方が表明されていました。

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私の住んでいる埼玉県鴻巣市の教育委員会もデジタル・シティズンシップを推進しています。ここでも文科省の「情報モラル」ではなくわざわざデジタル・シティズンシップという用語を使っています。このように教育行政の現場でもデジタル・シティズンシップが浸透していることがわかります。なぜこれほど自治体レベルで、文科省の政策にはないデジタル・シティズンシップをあえて取り入れようとするのでしょうか。それはGIGAスクール構想が不完全なものであるからに他なりません。デジタル端末を1人1台子どもたちに配布すれば自動的に良い教育ができるわけではありません。

例えば、基本的な問題の一つは、どのような利用規約を作るべきかという問題ですが、自治体や学校はこの方針さえ十分な方針を持っていません。結果的に後ろ向きの自治体や学校はできるだけデジタル端末を使わないで済むようにしたいと考えることになります。授業にだけ使い、その他の用途には使わないようにしようとする自治体も少なくありません。GIGAスクール構想には現場の教職員や保護者の心に届く教育理念がなく、不完全であるがゆえにデジタル・シティズンシップ教育を採用しようとする動きが現れていると考えられます。(利用規約については、豊福晋平「GIGAスクール構想とデジタル・シティズンシップ教育『デジタル・シティズンシップ教育の挑戦』を参照してください。)

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この表は著者グループが何らかの形で関与している自治体です。もともと著者が関わっていた自治体もあれば、新たに依頼を受けた自治体もあります。これ以外にもデジタル・シティズンシップの導入を検討している自治体はあると思われます。また、学校や教職員組合、PTA、NPOなどいろいろな団体から講演、研修などの依頼を受けています。私たちの知らないところでオンライン読書会が開かれている事例もありました。さらには一部の進んでいる学校ではすでに実践に取り組んでいるところもあるようです。

著者の一人である芳賀先生が所属する岐阜聖徳学園大学と岐阜市教育委員会がデジタル・シティズンシップ教育推進に関わる連携協定を結ぶ予定があるとのことです。政策の土台となる教育理念は、Society5.0ではなくSDGsです。このように、文科省の教育政策にデジタル・シティズンシップ教育がないにもかかわらず、決して少ないとはいえない数の自治体が教育政策にデジタル・シティズンシップを採用もしくは検討しているという事実があります。

一方、中小企業庁は独自に情報モラル啓発事業を実施していますが、今年度はその内容がデジタル・シティズンシップになりました。その土台にはSDGsがあります。SDGsは産業界にも浸透しつつあり、情報モラルよりもデジタル・シティズンシップの方がより受け入れやすいのだろうと思われます。もちろん中小企業庁は文科省と関係しているわけではないので、情報モラルからデジタル・シティズンシップへの転換はさほどむずかしいことではないと思います。

シティズンシップ教育との関係

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日本におけるデジタル・シティズンシップ教育運動の起点となったのは2019年11月9日に法政大学で開催した「デジタル時代のシティズンシップ教育」と題したシンポジウムだったと私は考えています。このシンポジウムでは、私と小玉重夫先生が問題提起者となり、その後、「デジタル・シティズンシップ」の著者となった豊福先生、芳賀先生、今度さん、そして学校現場からは法政国際高校の河合副校長、お茶大附属中の木村先生、そして文部科学省教科調査官の小栗さんがパネリストとして参加しています。

また、このシンポジウムはJ-CEFが共催しています。このシンポジウムではタイトルの通り、デジタル・シティズンシップ教育をデジタル時代のシティズンシップとして位置づけたのですが、重要なのは文科省の小栗さんが、デジタル・シティズンシップ教育を新たな高校の教科である「公共」につながるものとして話されたことです。

今年の3月31日には小玉先生が委員を務めている文科省主権者教育推進会議最終報告書が出ましたが、この中にはメディアリテラシーの育成が明記されました。「豊富な資料や多様なメディアを活用して情報を収集・解釈する力や、情報の妥当性や信頼性を踏まえて公正に判断する力などのメディアリテラシーの育成を学校のみならず家庭においても図ることが重要」と指摘されています。欧米で議論されているオンライン偽情報問題への注目が見られます。日本の主権者教育にはデジタル・シティズンシップに含まれている多様な要素が欠けていますが、デジタル・シティズンシップとの関連を考えると、このことは意義深いことだと思います。

一方、J-CEFは今年の4月18日に「デジタル時代のシティズンシップ教育を構想する」をテーマにしたオンライン研究会を開催しました。私もこの時報告をしています。このように日本におけるデジタル・シティズンシップ運動は最初からJ-CEFのシティズンシップ教育運動と連携しながら進められています。

中教審・文科省との関係

次に中教審および文科省との関係について考えてみたいと思います。昨年の4月27日、中教審の分科会でNPOカタリバの今村久美委員が「Withコロナ社会において、今検討すべきこと」と題する文書を提出しました。ここには「GIGAスクール構想を実現する上で、デジタル前提社会で生きる子どもたちがそのリスクを理解し、安心安全に利用しながら可能性を広げられるように、『デジタル・シティズンシップ教育』の推進が必要」と書かれており、私と今度さんが書いた論文のリンクが掲載されています。

中教審答申のパブリック・コメントの主な意見の中にデジタル・シティズンシップ教育の必要性を訴えたコメントが掲載されています。具体的には「1人1台端末の整備に当たっては、「デジタル・シティズンシップ教育」を推進し、批判的デジタルリテラシーを育む必要がある」や「デジタル・トランスフォーメーション加速の必要性が叫ばれる中、学校教育のあり方を検討するにあたっては、教育に格差を生じさせないために、デジタル・インクルージョンの視点が重要」だという指摘です。

しかし、ご存知のように中教審答申には、デジタル・シティズンシップについては一言も書かれていません。私はデジタル・シティズンシップに関する文科省内部のオンライン学習会に呼ばれたことがあり、文科省内部の状況についてある程度知ることができました。その経験から言えば、文科省自体はデジタル・シティズンシップに対して必ずしも否定的ではないと考えています。

文科省が必ずしもデジタル・シティズンシップに否定的でないことがよくわかる例として今年の3月5日に文科省が主催したオンラインセミナー「withコロナ時代の情報モラルを考える」をあげることができます。このとき、坂元章先生が基調講演をされたのですが、情報モラル教育ではなく、世界の潮流として、デジタル・シティズンシップ教育の重要性を強調する内容でした。日本ユニセフ協会の中井さんも登壇されましたが、同じ趣旨の話でした。情報モラルのセミナーなのに、中身はデジタル・シティズンシップだったのです。

文科省としてみれば、世界の潮流を無視することはできないということではないでしょうか。しかし、もちろん現段階では文科省がデジタル・シティズンシップの概念を教育政策に取り入れる状況ではないことも確かです。情報モラル教育は道徳教育の一部として位置付けられており、デジタル・シティズンシップの理念と道徳教育の理念は矛盾します。デジタル・シティズンシップ教育運動にとって大きな妨げとなっているのは、情報モラル教育との矛盾だけではなく、規律や管理を重視し、抑圧的な生徒指導によって生徒の自主性を奪ってきた日本の伝統的な学校文化ではないかと思っています。

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現在の教育政策におけるデジタル・シティズンシップ教育の位置づけを簡単な図にしてみました。左側に経済界主導の教育政策があります。そしてその具体化としてGIGAスクールや個別最適化、STEAM教育、情報モラル教育があります。他方で、右側には反デジタル教育論があります。その土台には、スマホ依存やゲーム障害といった言葉に代表されるようなデジタル機器への強い不信感があります。例えば、香川県のゲーム規制条例を例としてあげることができるでしょう。また、デジタル機器で良い教育ができるわけがないと頭から否定する教育関係者も少なくありません。反デジタル教育論は見えない形で日本の学校教育に深く根付いていると思われます。

WHOは「ゲーム障害」を疾病として認定しましたが、これには強い批判(e.g.:Scholars' Open Letter to the World Health Organization on Gaming Disorder Proposal)があります。その内容は、第一にエビデンスが不十分であること、そしてもう一つは「モラルパニック」を引き起こすということです。ここでいうモラルパニックとは、イギリスの社会学者スタンレー・コーエンが『民衆の敵とモラルパニック』の中で、通常の社会規範に反すると思われる事象に対して引き起こされるパニックに対して名付けたもので、敵を作り出すことによって理性的な判断が奪われてしまう状況のことです。今日の「ゲーム依存」や「スマホ脳」といった言葉の流行はモラルパニックの兆候だと考えられます。

先端教育機構による教育委員会アンケートによると、GIGAスクールの端末を当面授業や学校内に限定すると答えた教育委員会は小中学校ともに60%に上ります。教育にデジタル機器は不要であり、今までのやり方を変えたくないと考える教育委員会も多いと考えられます。一方、何らかの形でデジタル・シティズンシップ教育に取り組もうとしている自治体や学校は、授業だけに制限されない端末利用を検討していると思われます。

例えば世田谷区は子どもたちにタブレット端末を持ち帰らせ、自由に使わせている自治体の一つですが、タブレットに関するFAQをまとめた案内『教えて!タブレット先生』を各家庭に配布しています。そこには「みなさんが自由に使えるように できるだけ制限をかけない設定になっています」と書かれています。5月15日には世田谷区内の保護者と教職員が自由に意見を交わし合うオンラインセミナーが開催され、私も視聴しましたが、すでに学校の先生方が自由にタブレットを使わせた結果、子どもたちが自ら進んでいろいろなデジタル作品を作るようになった例が紹介されていました。

デジタル・シティズンシップ教育の理念や運動、政策は、ICT活用における単純な二項対立の枠に当てはめるべきではありません。デジタル・シティズンシップ教育は、デジタル環境の中で自ら考えて行動し、市民社会に参画できる人間を育てようとする教育であり、デジタル時代のシティズンシップ教育だからです。それは弁証法的に言えば二項対立を止揚する立場だといえます。

まとめ

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最後にまとめたいと思います。まず、何度も繰り返しますが、デジタル・シティズンシップはデジタル時代のシティズンシップであり、決して情報モラルの言い換えではないということです。最初に述べたように、スタンフォード大学が昨年「デジタル・シティズンシップ・プラス」と題した報告書を公開しています。彼らによれば、デジタル・シティズンシップはシティズンシップの一部ではなく、むしろシティズンシップを拡大し、そこに子ども若者を巻き込むための概念であると指摘しています。そして彼らはSTEM分野における教育の格差が人種やジェンダーの格差を拡大していることを問題視します。また、2015年のOECDの調査を引用しながら、「効果的な授業が行われないと、学校でデジタル技術を利用しても生徒がメリットを享受することができない」と指摘しています。

さらにコモンセンスが2019年に実施した調査によれば、高所得世帯のティーンエイジャーは宿題をこなすためにコンピュータを使う時間が長いのに対し、低所得世帯の若者は宿題をこなすためにスマートフォンを使う時間が長いことも明らかになっています。明らかにデジタル環境の格差は社会の格差を拡大しつつあります。では、デジタル環境がなければ、社会は平等に向かうでしょうか。現実は真逆です。デジタル環境がなければ社会的格差はますます拡大することでしょう。デジタル・インクルージョンはデジタル・シティズンシップの要素であることを思い起こすべきです。GIGAスクール構想はデジタル・インクルージョンの理念のもとに捉え直す必要があります。

シティズンシップ教育がそうであるように、デジタル・シティズンシップ教育は市民社会参画のための教育であり、子ども若者たちが自分たちの意見を表明し、行動するための教育です。それは参政権を持つ世代のためだけの教育ではなく、幼稚園から大学までを含む系統的な教育でなくてはなりません。宗像誠也の「教育政策とは権力に支持された教育理念である」という言葉を思い起こせば、地域や学校現場で現在進行しつつあるのは新たな教育政策をめざす教育理念とそれによる教育運動だと言えるでしょう。

教育政策研究は、教育運動の萌芽と形成のプロセスを含めて行われる必要があります。まずは情報モラル教育をデジタル・シティズンシップ教育として読み替えるという方法は現実的ではありますが、本来デジタル・シティズンシップ教育がめざしているものは、教育の本質に関わるものです。そしてデジタル・シティズンシップ教育の推進を主張するさまざまな自発的アドボケーターはこの教育理念に共鳴しているといえます。ここに教育政策におけるデジタル・シティズンシップ概念の可能性を見ることができます。

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