柔道部物語②

さてさて4人でスタートを切った新生中学柔道部。先生の話によると6月に小さい地区の大会があるらしい。大会に向けてやる事は二つ。

まずは各自一つずつ先生が技を教えてくれるのでその技を磨く事。背の高い僕と木村君は大外刈を政吉君は背負い投げを佐藤君は一本背負いを教えてもらった。僕はとりあえず大外刈とかなんかカッコ悪いので今村スペシャルと名付けた!僕が柔道を続けていたら今頃柔道入門とかに今村スペシャルがあったかもしれないのに!

まぁそんな妄想はともかくとして柔道の練習は高校柔道部と合同だったのでなかなか密度の濃い練習だった。なんか全国大会とかでた事もあるとかで(というか実は和歌山って柔道王国らしいね)4人共それなりに強くなっていった。

ちなみに若ハゲでいじられてた佐藤君だったがこの頃にはマゾ&ホモ疑惑が流れ「投げられた時嬉しそう」だとか「寝技の練習になると目付きが変わる」だとかいわれてた。不憫なやつめ。

さて問題はもう一つ。それは大会に向けて5人目のメンバーを確保する事だ。大会は個人戦と団体戦があり団体戦は5対5だ。これはサンダーバトル(勝ち抜き戦じゃない!サンダーバトルだ!)ではないのでこっちが4人だと自動的に1敗になってしまう。つまり4人で3勝しないといけない。これはかなり厳しい。というわけで我々は勧誘活動に勤しみました!

しかしながら当時、柔道のイメージといえば「臭い」「きつい」「ナオンにモテナイ」「短足になる」とひどいもんでした。スラムダンクの野郎!真島君すっとばすでイケメンの柔道家がでた時はかなり嬉しかったからなぁ…

結局「受け身を覚えると事故死確率が3割減るらしいよ」とか「柔道やってると進学に有利だよ」とか「月一回文化部の女子とレクリエーションがあるよ!」とか嘘800並べたり、なんか横文字つければかっこよく聞こえるんじゃね?とか言い出してエクセレント柔道部とかに名前変えたりしましたが、結局世間のネガキャンには勝てず新規入部者は0、4人で海南インターのとこの体育館に向かうのでした。ちなみに政吉君は大阪市民。よくこんなとこまできたもんだ。

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