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激動の21世紀

2001年の9月11日の深夜に、飛行機がビルに突っ込む様子をテレビで見ていて、ふと「あ、21世紀が始まった」と思った。以降しばらく、世界はテロとの戦いにエネルギーを費やすようになり、キリスト教対イスラム原理主義の戦いになるのではないかとさえ思われた。

その10年後、3.11に大地震が日本で起きた。津波が燃え盛る炎とともに街々を飲み込み、原発は吹き飛び、我々日本人の価値観に大きな衝撃を与えた。

そして2022年、よもやこれほど明白な侵略戦争が起きようとは思わなかった。もちろんロシアにはロシアの、というかプーチンにはプーチンの理屈があるんだろうが、いくらなんでもそりゃねえよというくらい無理筋な武力侵攻が今ウクライナを席捲している。

旧ソ連の幻影を背負うプーチンには短期的な賭けに出たのだろうが、中長期的にはロシアを滅ぼしかねなほど莫大な損害を与えるスジ悪な手を打ったなと素人目には映る。

ただ、それは中長期的な話であって、仮に何年か先にロシアが滅びるとして、その時にウクライナが存在しているかどうかはわからない。ウクライナは今この瞬間に国家存亡の危機にある。降伏したところで国は無くなる。今住んでいる土地にこれからも住み続けられる保証は全くない。となればもう無理でもなんでも、銃を手にしてでも侵略を阻止するしかない。ロシア軍を自国領土から叩き出すことでしか、ウクライナに安寧はない。

今日戦って、そして勝つことでしか明日が切り開けない、ということを考えたことがある日本人が今どれだけいるだろうか。

世界はたぶんおれたちが思っている以上にダイナミックに変わっていく。もちろんそれは一日一日の比較ではわからない程度だけれど、10年スパンで考えると、劇的な変化が見えてくる。

20世紀の価値観はもう通用しない部分が生まれている。21世紀の価値観にキャッチアップしないといけない。

3.11の震災で学んだことの一つは、毎日来る明日はある日突然壊されるということだった。明日が今日になる時、今日になった明日と同じ明日が明日も来るとは限らない。突発的な破壊が起こるかもしれない。身近な誰かが死ぬかもしれない。

こういう感覚は、昭和には無かった。だけど、否が応でもそういう世の中になった。だから、明日に備えないといけない。明日が壊されても、明日に明日をまた待てるように、対策を打たないといけない。

そういう意味で、21世紀は20世紀後半と比べて激動の時代であり、ちょっと陰惨な時代なんだろうと思う。そしてそれが取り除かれて平穏な時が続く可能性は、正直低いと思う。ピリピリした時代におれたちは生きている。

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