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絵画の楽しみ方教えます。 その3-21

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  約30%透過させ分かりやすいように強調していますが、子羊の仮面をかぶっているようになります?いや、かぶらされているのかもしれない。顎には鎖が巻かれ醜い顔が表現されていると思うのです。
私はキリスト教に詳しくないのでペトロについて少し調べてみましょう。

・ペトロ

ペトロは、新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人。初代ローマ教皇とされる。シモン・ペトロ、ペテロ、ケファともいわれる。聖人の概念をもつ全てのキリスト教諸教派(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)において聖人とされ、その記念日(聖名祝日)は6月29日(ユリウス暦を使用する正教会では7月12日に相当)である。
カトリック教会においては「使徒の頭」、正教会においてはペトルと呼ばれ、パウロ(パウェル)と並んで首座使徒の一人と捉えられている。本名はシモンであるが、イエスにより「ケファ」(アラム語で岩の断片、石という意味)というあだ名で呼ばれるようになった。後に同じ言葉のギリシア語訳である「ペトロス」という呼び名で知られるようになる。
・・・・ウィキペディアより抜粋

聖人なんですね。「岩」というあだ名・・・堅そう。まじめ?頑固?そんな感じ(笑)
『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によればペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。
『ルカによる福音書』ではイエスとの出会いはゲネサレト湖の対岸にいる群衆への説教に向かうイエスが彼の船を使った時とされる。伝承では、ペトロはイエスと出会った時には既に比較的高齢であったという。共観福音書はいずれもペトロの姑がカファルナウムの自宅でイエスに癒される姿を記しており、ここからペトロが結婚していたことが分かる。
・・・・ウィキペディアより抜粋
弟子の中では高齢だったのですね。 結婚もしていた。
ペトロは弟子のリストでも常に先頭にあげられており、イエスの問いかけに弟子を代表して答えていることなどから、イエスの存命中から弟子たちのリーダー的存在であったことがうかがわれる。また、主イエスの変容(姿が変わって神性を示した出来事)をペトロはヤコブとヨハネの選ばれた三人だけで目撃している。

・・・・ウィキペディアより抜粋
 弟子の中ではリーダー的存在だったようです。
イエスの受難においてペトロは剣を抜き、大祭司の僕マルコスの右耳を切り落とすが、その後イエスを3度否認したことが福音書に書かれている。そうなることをイエスが事前に予告していたことを思い出した時「激しく泣いた」とされている。また『ヨハネによる福音書』によれば、イエスの復活時にはヨハネと共にイエスの墓にかけつけている。
・・・・ウィキペディアより抜粋

勇敢なところもあるようですが、気の弱いところもあるのかもしれないですね。
『使徒言行録』ではペトロはエルサレムにおいて弟子たちのリーダーとして説教し、イエスの名によって奇跡的治癒を行っている。やがてヤコブ (イエスの兄弟)がエルサレム教団のリーダーとして活躍しはじめると、ペトロはエルサレムを離れ、各地を巡回するようになる。ヤッファでは亡くなった少女タビタを生き返らせる奇跡を行ない、また清い者・清くない者、あらゆる人々に宣教するよう幻を見て、その近くのカイサリアではコルネリウスというローマ帝国の百人隊長をイエスの道へ導いている。「コリントの信徒への手紙一」によれば、ペトロは妻を連れて各地の教会をめぐっていたようである。また、ガラテア書によれば、アンティオキアに割礼を行う一派が来た時に異邦人とともに食事をすることを止め、パウロから非難された
・・・・ウィキペディアより抜粋

  各地も周り布教をしたようですね。奥さんを連れて?家族を捨てていなかったのですね。
聖書にはそれ以上の記述はなく、史実的にも実証できないが、外典である『ペトロ行伝』にも見られる聖伝ではローマへ宣教し、ネロ帝の迫害下で逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。伝承では67年とされる。また同じ伝承によると、ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてくる。彼が「主よ、どこへいかれるのですか?」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。迫害が激化して非難したがイエスの言葉を悟りあえてローマに戻り殉教となった
・・・・ウィキペディアより抜粋

最後の晩餐のあと、キリストはペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言し、ペトロは「絶対にありえない」と否定するが、翌日キリストが連行され、ペトロがその様子をうかがっていると、周囲から「おまえもキリストの弟子だろう」と詰め寄られると「違う」と否認してしまう。ペトロは再三問われ、3度目に否認した直後、鶏が雄たけびを上げ、その声を聞いてペトロはキリストの予言を思い出し、涙にくれる。この場面は「ペトロの否認」として、レンブラントやカラバッジオ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールをはじめ、幾度となく絵画に描かれている。
・・・・ウィキペディアより抜粋

   私はペトロのことなどまるで知らないですし関係もありません。ですが、このウィキペディアからの印象だと、頑固な爺さんで、少しおっちょこちょい、人生の酸いも甘いも知っている。少し気が弱いところもあるが憎めない良い人という感じがするのです。皆さんはどう思われますか?
では、レオナルド・ダ・ヴィンチはどう思っていたのでしょうか?

続く・・


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