見出し画像

ここで飲む幸せ

 お酒を飲んで幸せを感じたこと?なにそれ?テレビのコメンテータ―的な事を書いてほしいのかな?

 昔、「びっくり」という名の飲み屋があった。私は千円札を1枚握りしめて飲みに行った。
 その店は便所もなく保健所から便所を設置するように言われていたが言うことはきかなかった。戦時中田舎に疎開してきて我が町に住みついたそうだ。当時、すでに70歳は超えていただろう。今生きていれば100歳近くだろうか?切符の良い婆さんだった。気に入らない客がいると啖呵を切って追い出した。「金いらねぇから失せろ。うっとしい」

 その店は酒と焼酎しかない。焼酎は宝の25度。コップになみなみと注いでくれる。沢山こぼれれば嬉しかったものだ。冬にはおでんが絶品だった。そのほかにはマグロのブツ切と焼き鳥だけだ。他には何もない。マグロのブツは魚屋から仕入れていたので、全く味が違う。スーパーの刺身とは比べ物にならない旨さがあった。

 店に入ると、油揚げを細かく切ったものを塩味で煮たスープが出てくる。塩だけだ。それがこれまた絶品。寒い季節には暖まる。おでんの食べ方もその婆さんから教えてもらった。竹輪は、ふぁっと膨らんだ頃が美味いのだ。煮物とおでんの違いを私はその時知った。煮え過ぎた竹輪は惜しげもなく只で客に恵んでくれた。金のない私は嬉しかった。

 私は演歌はさほど好きではないが「舟歌」の世界そのものだ。音楽も何もない。石油ストーブに掛けられたヤカンから聞こえる湯の沸く音だけだ。冬には雪を踏みしめる音が聞こえる。私は何故かその婆さんに気に入られた。焼酎2杯に焼き鳥。ちょっと贅沢する時はマグロのブツ。結婚して毎日は通えなくなったが、それでも月に2度くらいは通ったものだ。

 そんな、婆さんも体調を崩し入院した。見舞いに行ったが少し痴呆症もあって私の事も思い出してくれなくなった。

その店に行って酒を飲んだことが幸せだったなどと書くつもりは微塵もない。あの婆さんの生きざまを振り返るとおぼろげに幸せとは何かが少しわかる気がする。
 その店の大家の子供にランドセルを買ってあげたと言って嬉しそうな顔をしていた。年に一回豊川稲荷に、お参りに行くのを楽しみにしていた。金もないのに毎日髪結いに行っていた。カウンターには毎日塩を盛ってあった。それが幸せであったろうと簡単には言えない。

私は今一人で飲みに行くことはほとんどない。家で飲むだけだ。飲みたいだけ飲んで〆に焼酎を飲むとあの婆さんを思いだす。

もちろん宝の25度だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?