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受胎告知は二人で 17

要はこの聖ヒエロニムスがヘブライ語からラテン語に聖書を初めて翻訳した人物なのだ。


  この聖書こそが中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書であった。
ある意味で凄い人物なのである。いやこのヒエロニムスが聖書を翻訳しなければラテン語で誰も読めなかった。また後のルターの宗教改革もあり得なかったわけで確かに偉大な聖人ではある。ではなぜレオナルド・ダ・ヴィンチはヒエロニムスに聖書の台を引き倒すようなことをさせたのであろうか?

ここからは私の推論だ。 


  当時のローマンカトリックというものは私たちが想像しているようなものはなかったのかもしれない。歴史に詳しい人ならば周知の事実なのかもしれないが、知識のない私でも、ある程度は想像できる。後にサンピエトロ大聖堂の建て替えの資金集めに免罪符を発行するような、キリスト教の精神などある意味微塵もない、火山が爆発する直前の様な有様ではなかったか。

  レオナルド・ダ・ヴィンチは一説によるとラテン語が若いころ苦手で読めなかったということになっているらしい。本当だろうか?もしかしたらレオナルド・ダ・ヴィンチ特有のカモフラージュの可能性だってある。あれだけの天才が語学を苦手など怪しいものだ。聖書だって読みこなしていたのかもしれない。ラテン語が苦手ということにしておいた方が、レオナルド・ダ・ヴィンチ自身の身を守るため安全だったのではあるまいか?ルネサンス期のカトリックの腐敗、あまりにも聖書とかけ離れた状況をこの聖ヒエロニムスの聖書台を倒す行為で表現したのではあるまいか?現代我々が想像すると皆が聖書を読み理解し、皆が敬虔なキリスト教だったと錯覚してしまいがちだが、聖書などまともに読んだものはほんの一握りの宗教関係者だけであり、それを良いことに都合よく解釈利用されていたのではないか?

 レオナルド・ダ・ヴィンチは自分の考えをそのまま表すことはできなかったであろう。教皇や貴族の気に入った聖書の一場面の注文を受け描くしかなかったのだ。だからこんな巧妙な仕掛けを考え出したのではないだろうか。

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