親子問題についてかんがえること

ウェブ座談会を終えて

親子の承継問題について考えるウェブ座談会を終えたばかりのホテルで、この文章を執筆している。僕が座談会を終えて思ったことは、「伝えきれていないだろう」これにつきる。

とても難しい問題によく取り組んだと、自分をほめてあげたい気持ちも少なからずある。しかし、問題の深刻さ故、達成感を得られる境地には至っていない。動画を見て、がっかりした人も多いと思う。
「きれいごとばかりだ」「具体的なアドバイスに欠けている」「結局自分の気持ちはわかってもらえない」
その通りかもしれない。だから僕は、座談会を終えた今、どうしてもフォローしたいことがあると思った。言い訳めいた内容になることは、ご了承いただきたい。正直に告白すれば、これは自分への慰めでもある。

どこまで話せるのか

家族の問題をどこまで話せるのか。僕にはこの話を受けた時からずっと葛藤があった。家庭の事情をつまびらかにすることは、いくつもリスクがある。一つに(これが一番重要だが)、「だれも傷つけるわけにはいかない」ということ。一方的な言い分はフェアではない。自分がいかに大変だったか、つらかったか、すべてを話すことは簡単だ。しかし、それによって、気分を害す人は必ずいるだろう。息子の一方的な言い分に、父親側の人間はいい気分がするだろうか? そこのバランスに最も苦慮した。

また、自分自身会社の社長として現在進行形で経営を続けていく中で、お家事情を話すことは、一円の得にもならない。会社の利害関係者が、そのゴシップめいた話を喜ぶだろうか? 取引先、ひいては銀行はどう思うだろうか。

本当はどうだったのか

果たして実際のところ、僕と父の経験は、どのようなものだったのか? それを今の段階では書くことはできない。それは父の名誉のためでもあるし、自分自身、書いていて辛くなるとわかっているからだ。
一つだけ言えることは、僕も、僕の父も、深く傷ついたし、それはある種一生癒えることのないタイプの傷になったことは間違いない。だけどこれだけはわかってほしい。お互いにギリギリのところまでいった時もあった、と。

かつての自分は、いつも親子問題のことが頭から離れなくて、寝ても覚めても、常に心が晴れなくて、その頃は相談できる相手もいなくて、まれに業界の諸先輩方に相談する機会があっても、「我慢するしかないよ」と言われ、家業だからやめるわけにもいかず、どこにも逃げ道がないと思っていた。
深い穴に閉じ込められているような、絶望的な閉塞感に襲われている日々が、確かにあった。

声を届けたかった人

そんな思いを胸に抱いている人がいるとしたら、僕はその人を救いたかった。その人の為の座談会になればいいと思った。
毎日くよくよして、心が晴れなくて、楽しくなくて、追い詰められて、誰にも相談できなくて、そんな人に寄り添いたかった。
でも、一方で、多くの人が見る中で、前向きなものにしなければいけない、という気持ちもあって、その葛藤が僕を苦しめた。

結果的に、とにかく明るい会にしようという結論に至った。ギリギリで踏ん張っている人が、少しのきっかけで状況が好転することを望んだ。広く浅い会だったとしても、それが例えたった一人でも、状況を変えることができればと思った。

本当に伝えたかったこと

人生はかけがえのないものだということ。つらい毎日を送る必要はないっていうこと。人は自然と笑える毎日を送る権利があるっていうこと。

つまり、僕が一番伝えたかったのは親と仲良くなって、円満な牧場経営を送りましょう、ということでは決してない、ということ。

世の中には立派な人が多くいる。今の時代、ネットで立派な人物が立派なことを言って、それが多くの人の支持を集め、その事実が何度も突き付けられる。
立派な人だけが立派で、ダメな人はダメ。そういう風潮は、ときに人を追い詰めるんじゃないかと思う。

親と仲がいいほうがいいに決まっている。親と仲良くすることは当たり前のことで、親子の美談が世の中にはあふれている。感動のエピソードは多くの人の心を打つかもしれない。でもそれがすべてだろうか?

人は、一つの面だけでは評価できるものではない。たとえ人間関係が不得意な人も、牛にやさしくできたり、繁殖が上手だったりする。

「親とうまくいかないあなたは、決して間違ってはいないんだよ」

それをとにかく一番に伝えたかった。それが、確実には伝わっていないという実感は、僕を無念な気分にさせている。

ハラスメントは、家族間でも存在する。これは紛れもない事実だ。

牧場を続けることは重要だ、と僕は言った。
しかし、精神的に追い詰められている状態に、あなたが陥っていたとしたら、そこまでの思いをして仕事を続ける必要は絶対にないと、断言できる。

一番大切でかけがえのないのは、あなたの人生だと僕は信じている。
そのことは、畜産を応援することが基本的なスタンスであるあの場では、決して口にすることができない言葉だった。

もし今回の座談会を見て、親子問題で悩むことは普通なんだ。自分は間違っていないんだ。と思えた人が、初めてその気持ちを誰かに吐露して、その気持ちを受け止めてくれる人が現れたら、と切に願う。

あるいは今回の座談会をきっかけに、あなたの周りを見渡して、親子問題に悩んでいる人が実はすぐそばにいることに気が付いて、その人に声をかけてあげようという気持ちになったとしたら。僕はそれで充分です。

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