不幸に憧れる私たち


破滅願望 破壊衝動 

幸せのことを考えすぎてその逆の不幸ばかりが浮き彫りになる 

不幸せに身を預けて 自己憐憫をするのは 気持ちいいのかもしれない 楽かもしれない 悪いことでもないのかもしれない 

幸も不幸もどうでもいい人もいるかもしれない 人間失格の一節にあるように

幸も不幸も自分が決める たぶん

幸せに縋る 幸せに縋るから不幸になる 

縋る、ってなんだろう 蜘蛛の糸、そんなイメージ
カンダタは、その蜘蛛の糸を美しいと思ったのか 


「幸せ」って見つけづらいし、分かりづらい 
でも「不幸」は分かる 幸せがすぐ横にあるから気づけてないのかもしれないし、横にいるのは不幸の方かもしれない


額縁に飾った「幸せ」は遠い存在 

自分が不幸だと言うつもりはない 
私が不幸に寄り添って、堕落して過ごすのがただ単に楽で、そんなことをしている自分が好きなときもある それを不幸せと呼ぶのなら 

「幸」「不幸」霞んでても見えているならそれだけでいいね 見えてなくても、まぁ問題はない

世界は単純じゃない 複雑で、多すぎる 

尺度も二極化も簡略化もいらない 多様性?そんな話じゃない もっともっと細かい 

そしたら幸せも不幸せも細かくて複雑なはずで

それでも手放しで「幸せになりたい」と願う私たち それでも不幸に寄りかかる 下り坂は、楽

不幸に憧れなくていいんだよ 不幸にならなくていいんだよ 幸せにもならなくていい 何者にもならなくていい 垂らされた蜘蛛の糸に、何を思うかだけ教えてほしい

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