面倒くさいけれど愛おしい
秋晴れ。
気持ちのいい空気を吸いながら畑に来た。
おはよう!とここにいる全てのものに声をかけ、鳥や虫の音をヒーリングミュージックに収穫をした。
今日はここで書こうか?と思ってタブレットを背負ってきた。
が、畑は畑でそのことをして、書くことはここじゃなくていいことに気づいた。
たまにやってくる蚊や、街中を走り回る選挙カー、思ったよりも照ってきた太陽。
虫の音が心地よく、気づくと手が止まり、ボーーーーっとしてしまう。
でもこのまま書き進めよう。
昨日息子と、近くの室内プールに遊びに行ってきた。
更衣室からプールに向かうと、同じ年代の子供たちの水泳教室をやっていた。
いくつかのコースがそれに使われていて、子供たちがたくさんプールにいた。
「あれ?入っていいのかな?」と思ったのか、ちょっと圧倒されたのか。
プールに向かうその足が止まった。
「大丈夫だよ、教室やっていないあっち側は遊んでいいんだよ」と指差して伝えると、恐る恐る一緒にプールサイドに向かった。
それからは気にすることなく、楽しんで遊んできた。
その時ふっと思い出したことがある。
いや、正確に正直にいうと、これまでの人生でこのことは何度も何度も思い出してきた。
私の子供の時の、あるエピソードだ。
小学生の頃。
たぶん2年生頃じゃないかと思う。
バレエをやってみたいと思い、親に伝え、バレエ教室に通うことにした初日。
私がドキドキしながら階段を登り、その未知の扉を開けて中に入った時、もうすでに習っている子供たちがレオタードを着てスタジオにいた。
その状況、私はそれでもう、バレエ教室から脱落した。
それ以来一度も、バレエというものには触れていない。
今でもその時の気持ちが蘇ってくるほど鮮明に、体の中に残っている。
今振り返って言葉にすると、こういうことじゃないかと思う。
『繊細で、孤高で、負けず嫌い』
そういう面倒くさい子供だった私には、無理だった。
もうすでにバレエができる子達がいるその教室で、
すでにできている輪の中には、誰がどう説得しても決して入ることはできなかった。
自分で書いておきながらハッとした。
そう、今も変わっていないのだ。
なんだ。
なんだよ。
でも一つ変わったことがある。
それは、そんな面倒くさい私という人間を、ただただ愛おしく思えていることだ。
「ふっふっ、おもしれーじゃねーか」と。
そう思えていることは、少なくとも私が私という人として
これまで生きてきた道を肯定できている。
こう至るまでに必要だったのは、やはりそれも“人”だった。
産んでくれた人、育ててくれた人、関わってくれた人、
会ったこともないけれど私が必要な言葉を発信してくれた人。
そして、目には見えない存在たち。
こう書いていても、今溢れてくるものがある。
それに該当する言葉が見つからない。
これが「感謝」ということなのだろう。
JunkoShanti(mogrow)
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