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学校引退宣言


「オレ、今日学校引退するわ」

2学期に入ってから「学校休みたい」と言うことが増えてきた。
実際に休んだり、早退したりしているこの頃。

そんな小一の息子の今朝の宣言。


保育園の時から不登園で(話し合いの上、なんとか週半分くらいは行ってくれていた)、色々な事を試してはみたが、結局最後の最後までそんな感じだった。

だからまあ、驚きもしない。
「でしょうね」という思い。

やりたいことと、やりたくないことがはっきりしている息子は、
やりたくない時間が長いことが「嫌」の理由らしい。

学校で好きな時間は?と聞くと「昼休み!」と即答だ。

その上、家ではこんなに奔放なのに、学校では「とても真面目で時間も守るし、ちゃんとしている」らしい。上手くやりたいとか、頑張りたいとか、自分に課しているのかもしれない。

その性格がまた「行きたくない」を増長させている気がしている。


作業療法の手法で聞いたことのある『作業の仕分け』に当てはめると、

作業に対する意味を知るために、作業を「義務」「願望」「義務であり願望でもある」「義務でも願望でもない」に仕分ける方法があります。しなければいけない作業は「義務」、やりたくてしている作業は「願望」です。


彼の中で、学校の授業などは「義務でも願望でもない」のだろう。

「義務でも願望でもない」作業が増えると、生活の満足度が低くなる傾向にあります。

心の健康を保つには、作業の内容や時間だけでなく、そのひとにとって意味のある作業を生活の中に多く取り入れ、意識を向上させることが大切なのです。


「しなければいけないわけでもないし、やりたくもない」なんてことを想像してみたが、それは確かに私だってしたくない。

人生が時間だと言うなら、そんな時間はなるべく少なくしたい。


と言うことは、その作業を「義務」と思えるか、もしくは「願望」であるかになれば、その人にとって学校は行くに値するところになるのだろう。


彼は将来「生き物博士」になって、オオサンショウウオを捕獲できる許可を持ちたいらしい。
(国の特別天然記念物で、国(文化庁)から許可を得た人しか、触ったり、捕獲したりできない)


とすると、どうやったらそうなれるかを一緒に考えて、それに必要な事を書き出せば、それに値することに対しての意識は、少し変わるかもしれない。

その時出る答えが「学校」じゃないことだってあるだろう。

学校を休んだ今日は、そんな話を少ししてみようかな?


それにしても「義務作業」と「願望作業」について、
自分の“今”、一日の作業を当てはめて見直してみたいと思う。



JunkoShanti(mogrow)


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