「私にもできる?」を体現したい

この記事は、SHElikes課題「なぜライティングを学びたいのか」について、添削後の文章を掲載しています。

宮城県、4人兄妹の末っ子として生まれました。
大学卒業まで宮城で過ごし、平凡で幸せな、どこか退屈な毎日だったように感じます。
感受性が強く繊細な心とは裏腹に、刺激のある日々を求め、就職は東京を選日ました。日系大手航空会社のCAとして。
今思うと、地方教員養成大学から CAになったのも、人生で初めての「私にもできる?」の体現だったのかもしれません。

CAとして刺激的な毎日

CA時代はとにかく刺激でいっぱいでした。
まだ見たことのない世界、まだ経験したことのない毎日は、楽しいことで溢れています。たくさんの人と出会いその人たちの話を聞くだけで、世界が広がるような感覚になります。
そしてそれが心の底から楽しく、もっとたくさんの人の話を聞いてみたい、常々そう思っていました。

CAには人脈もあります。
誘いの全てを承諾すると、週5日食事会兼交流会(合コン 笑)で予定が埋まることなんてザラでした。そんな社会人2年目を過ごしていたのは、いい思い出でもあります。
補足として言っておくと、今の私の考え方を作っているのは合コンでの戦果だけではありません。CA時代の同期・先輩も大きく影響しています。日本全国、はたまた世界各国での知見は、私のこれまでの固定概念を簡単に覆しました。
そして、 厳格な縦社会、肉体労働はぬるま湯育ちの私を一気に成長させてくれました。

転職・結婚・出産

そんな5年間を経て、私は結婚し事務職に転職しました。結婚の翌年には子供が生まれました。育児に追われながらも、平凡で幸せな日常。やっぱり私はぬるま湯生まれ、ぬるま湯育ち。
「これでいいんだ!これが俗にいう幸せなんだ」そう自分に言い聞かせている気もしていました。
人の話を聞いて世界が広がっていたのは感覚だけ、妄想でした。
刺激的な毎日を過ごして、残ったものは何だったのだろう……。

悶々とする日々の中で浮かんだもの、
「私にもできる?」を自分自身で証明したい!そんな気持ちでした。

32歳未経験主婦の挑戦

何かを成し遂げた人、かっこよく生きている人は「はじめの一歩」を踏み出しています。そしてもちろん、継続する努力も怠りません。
「32歳、未経験の私にできるわけがない」これまでの私ならそう思っていたはずです。特に年齢を気にして。
ですが、年齢に関係なく新しく始めたことで生き生き輝いている人に私は出会ってきました。人との出会いで得た、1番の収穫だと思っています。

「今が1番若い」
「人生は死ぬまでの暇つぶし」

人からの受け売りですが、いつも心に留めている言葉です。
何も特別ではない平凡な私が「私にもできる?」を体現しライターとして世に出ることで、どこかの誰かの、何かのためになりたいと思います。

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