妄想旅行【番外編:ホスピタリティ考察】
ホスピタリティという言葉がある。
諸説あるが、「保護をする」という意味を持つラテン語「ホスピス」が由来というのが有力。
日本語だと「お・も・て・な・し」って事になるのかな。
サービスより一段上って感じ。
最近、このホスピタリティについてよく考えている。
なぜよく考えているのかという説明は省くが、一日中考えている時もある。
ホスピタリティって何だろう。。
例えば、超高級ホテルのスイートルームに泊まって部屋付きバトラーが何でも言う事を聞いてくれる事がホスピタリティなのか…?
すご〜く丁寧な言葉と物腰で対応してくれる事がホスピタリティなのか…?
特別扱いがホスピタリティなのか…
して欲しい事を言わずともサッとやってくれる事がホスピタリティなのか…
どれも立派なホスピタリティだとは思う。
でも、そろそろ人の自尊心を満足させるホスピタリティは古臭い気がしている。
特別扱いされて満足したり、逆に特別扱いされないから腹を立てたリすることは、自分の価値を他人に委ねているという事だ。
そういう本来では無い、仮染めの価値にしがみつく時代ではなくなりつつあるから…古臭さと違和感を感じ
るのかもしれない。
ホスピタリティを考える時に必ず思い出される事がある。
ポルトガルのリスボンに滞在していた時、シントラという王宮とお城のある町に日帰りで行った。
冷たい雨がザーザー降るあいにくの天気。
観光を終えて、リスボンに帰ろうとバス停に急いだがタッチの差でバスが出てしまった。
次のバスは1時間後。
あー、しまった…
時間を潰せそうなお店やお土産物屋が無いのだ。
周りを見渡しても地元の寂れた喫茶店しか無い。
海外旅行である…普通なら寂れた喫茶店に飛び込みでは絶対入らないけど、寒さに耐えられず恐る恐るドアを開けた。お店からバス停も見えるし入っちゃえ!という感じである。
お客さんはおらず、店長か店員か…おじさんが2人。
2人とも優しそうでホッとする。
お店は簡素な作りで、メニューはホットサンドとコーヒー、コーラ、オレンジジュース、アイスクリーム、そんなものだ。
わたしはお腹も空いていたのでホットサンドとコーヒーを頼んだ。
おじさんに「観光かい?」と聞かれて、「そうだけど、帰りのバスに乗り損ねて1時間待ちだ、次は絶対に乗らないと!」と答えた。
出されたホットサンドは期待を裏切ってとても美味しかった。
相変わらず外は雨、コーヒーを飲みながらボーッと外を眺めていると、2人のおじさんがゴニョゴニョとポルトガル語で話し、1人が上着を頭からかぶって外に出ていった。
何かの用事か、自分の休憩で出ていったのかな?
そう思いながら時間を潰し、「そろそろかもね」というおじさんの声でお会計をした。
「美味しかったありがとう」とお礼をして外に出ると、本当にちょうどバスがきた。
おじさんすごい!ピッタリだよ!
ちょっと感動してバスに乗ったわたしは、直後に信じられない光景を見た。
少し前に上着をかぶって店を出たおじさんが、少し離れたところからバスを見守っていた。
え…?
あ、、、そうだったのか、、、
用事でも休憩でもなく、わたしがバスに乗り遅れないように、ずっと外で見ててくれたんだ。
雨なのに、寒いのに。
そして、お店のおじさんに知らせてくれたんだ。
しかも、わたしに分からないようにそっと。
全部理解したら涙が出てきて、泣きながらおじさんに手を振っていた。
おじさんはニコッと笑って手を振った。
何もない質素な喫茶店だ。
もう2度来ないかもしれない外国人のわたし。
支払ったのは7ユーロ位。
でも、わたしは絶対に忘れないし、またいつか寂れた喫茶店の為だけにポルトガルに行きたいとさえ思う。
わたしが受けた人生で1番のホスピタリティだ。
ホスピタリティは自分が如何に特別かを確認するためのものではない。
今ここにいる喜びを感じさせてくれるものなんじゃないかと、思ったりしている。
まだまだ答えは出てないけどね。
とにかく次にあの喫茶店に行ったら、ホットサンドを2つ頼もうという事は決めている。
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