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カタチが私を決める

思えば、私はずっとモヤモヤしていたのだろう。
スタジオを開設した、14年前のあの日から。
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2006年5月。
恩師の意を引き継ぎ、バレエスタジオ開設。

こんなふうに書くと順風満帆みたいに見えるけれど、実際はそんなんじゃなかった。

18歳までバレエダンサーとしては何も結果を残せないまま、突発性の病を発病。
病気で大学は中退。その後はバレエどころか日常生活も一切できず、入院ののち3年間自宅療養。
体調が思うように回復せず、ほんの僅かな外出さえも難しく、友達と誰一人会うことすらできなかったハタチの自分。

その頃、私の世界は真っ暗だった。

バレエは辞めた。
辞めたかったというよりも、続けられる理由がなかった。

そこから3年後。
ようやく事務職に就いて何とか社会復帰でき始めた頃、久しぶりにお会いしたバレエの恩師からスタジオを引き継ぐ話を頂いた。

自分はバレエ界を引退する、だからあなたに引き継いで欲しい、と。


『あなたはもうダンサーとしては踊れない。だけど、教えることでならバレエと関われるんじゃない』


傍目には降ってわいたような、素晴らしい話だったかもしれない。
けれど、同時にとても悲しかった。


ダンサーとしては、もう終わったとハッキリ告げられたこと。
当たり前だけど、改めて先生の言葉で聞くのは、辛かった。

でも先生は、私を信じて自分の後を託そうとしてくれている。


私の気持ちは、揺れ動いた。

『やります。』


考えるよりも先に、なぜか言葉が出ていた。
ただ、そのあとに襲ってきたのは猛烈な不安感と恐怖感だった。

そもそも病気の根治ができていない。
プロダンサーだったわけでもなんでもない。
バレエを教えたことなんてただの一度もない。

普通は目指してたどり着くべき道なのに。
ある程度のDancerとしての経験を積み、教える経験を積み、そこから一歩ずつ着実に講師の道を歩む。

私にできるだろうか…なんて、生易しい不安じゃなかった。

希望より絶望だった.


今にも落ちて死ぬんじゃないかという崖っぷちに立たされた恐怖と言った方がいいくらい本当にそれくらい不安だった。

このままじゃダメだ。

わかっていることはそれだけで、それ以外はわからない。
何から始めていいのか、それすら見えない。


バレエの先生。
そのカタチだけが先にあって、私は後からそれを追いかける。


とりあえず、片っ端からやれること、思いつくことはやってみた。
経営に関する本、バレエに関する本、経済や株、自己啓発書…手あたり次第何でも読んだ。
OLで稼いだお金は全部開設資金に突っ込んだので、本屋で毎日少しずつ立ち読み。
身体をケアする方法と聞けば、片っ端から試した。
レッスンするお金もないので、自習を続け、動画を撮り続けた。
勤めていた会社の上司に頼み込んで夜中に印刷機を借りて、手作りのチラシを印刷し、毎日毎日歩いて撒いた。


この環境の中で、自分にできることは何だろう。
バレエ経験がない中で教えていくには何が必要だろう。

できない自分が情けなくて歯がゆくてやるせなくて、毎日泣いた。
泣いてもどうしようもないことは自分が一番よくわかっていた。
病気を抱えたままやり続けると決めたのは自分だから。
けれど、身体のしんどさと重圧に耐えられず涙がこらえきれなかった。


そして色々考える中でたどり着いたのが、身体についてフォーカスすることだった。
解剖学を独学で学び、安全な使い方を考えて、生徒に伝えていくように心がけた。
やがてその思いが高じて整体師の資格を取得。
それが繋がりを作り、やがて様々なジャンルの方と仕事をさせていただくようになった。

周りからは『好きなこと、やりたいことを仕事にできて、夢を叶えていいね』と言われた。


そうじゃないんだ。
ココロは叫んでいた。

『私は自分でこの道を決めていないのに、この場所に立っていていいのだろうか―――。』

私の心は、あの時からまだ動けずにいた。


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コロナで自粛生活に入ったある日、私は一つのインスタライブと出会った。

フットボールスタイリスト・鬼木祐輔氏。
現在は長友選手の専属トレーナーとしてトルコに在住。

私が鬼木さんを知るまでの経緯も奇跡の連続なのだけれど、それはまた別の機会に。

フットボールの話や、そうじゃない話も、色々。
すごく興味深く引き込まれていった。
いつしか鬼木さんのライブを聞くのが、私の日々の大切な日課になった。


『comeの概念』や『覗く』、『技術とは接続である』、『目的地の認識』。
鬼木さんの発する概念の話はフットボールだけではなく、色々なことに普遍的に通じる。
みんなが"当たり前"と感じていたこと、言われてみればそうだなということ、でも言葉にできなかった概念を、
目の前に引っ張り出して分かる形につなぎなおしてくれる。
鬼木さんの凄さは、その接続力だと思う。


そして、一つの言葉が私を救ってくれた。


『カタチが俺を決める』


例えばシュートを放つとき、あるいはパスを出すとき。
「こうしたい」という自分の在り方が先立つのではなく、目的地に向かって『覗いた』ら、身体は自然とそのカタチになる。
だから「俺がカタチを決める」のではなく、『カタチに決められる』のだ。

カタチとは状況ともいえる。
あるいはチャンスとも言い換えられるかもしれない。
いつもマグカップを例に挙げて例えてくれる鬼木さん。
マグカップを持つ手は、マグカップを持つという目的に向かい、口へ運んで飲むという目的地に向かい、自然とそのカタチになる。

ハッとした。

状況に自分自身が決められていくということ。
そして、それは決してネガティブなことじゃないということ。

『カタチに自分が決められている』ことは、何かに寄り添うことでもあり、それはホスピタリティでもある。
鬼木さんの話は、すべてにつながっていく。

今まで状況に決められていた自分を、どこか肯定しきれずに(いやむしろ否定して)、そのことに後ろめたさを感じていた。
けれど『カタチが私を決める』ことは、そのカタチに自分が寄り添い、状況に臨機応変に対応していかなければならない。

コーヒーを飲むという状況だって、考えてみれば一つの "chance=機会" だ。
それが "opportunity=好機" だとしたら。


カタチに決められることを、恐れちゃいけない


思えばいつも状況が先んじていた。
それに追いつこうと必死だった。
全力で努力できていたか?と問われると、未熟な自分に情けなくなるけれど、少なくとも諦めはしなかった。
ただただ、がむしゃらだった。

カタチ。
それは私に訪れてくれた『チャンス』だったんだ。


―― カタチが俺を決める ―――


それはこの世に"生きている"という、あたかも自分が世界の中心と思いがちな人間の傲慢さから自分を解放し、この世界に"生かされている"という自然への謙虚な姿勢とも結びついてくのかもしれない。

生まれてきたということ、それは自分に与えられた生きるチャンス。
それをどう使うか、自分の意のままにしたいのか?それとも誰かのために使うのか?

そこから自分に問い直してみるべきなのだと、私は思う。

自分自身のカタチが先に決められていたこと。
20代だったあの頃は、自分でやりたいことを選んだわけじゃないという後ろめたさと責任の重圧に押しつぶされそうだった。
チャンスであることはどこかでわかっていたのかもしれないけれど、あまりの重さにそれも見えなかった。

だけど、そのカタチが今、自分自身をここまで運んできてくれた。カタチが今の自分を決めてくれた。

そして絶望はほんの少し、希望へと姿を変えた。
まだまだ自分の至らなさに猛省する日々だけど。


コロナの影響や自粛生活は、決して歓迎されるものでも喜ばしい状況ではないけれど、この状況でなければ気づけないこと、出会えないことがたくさんあった。

今だからこそできること、今この状況でしかできないこと。
まさにカタチに決められて、私の日々が在る。

阿部純子が"バレエの純子先生"と呼ばれるようになって以来、その自分をようやく肯定できた。
ずっと心の奥底に抱えていたモヤモヤとした気持ちを、救いだしてくれた鬼木さん。
この場をお借りして御礼を申し上げたいです。(勝手にすみません…)

本当にありがとうございます。
心より深謝申し上げます。

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