ぴんく

お父さんは生きている。

灰色の病室に希望なんて色はない。私はいつも少ししか開けられない窓を開けて外の空気を感じるのが好きだった。ここは精神病院。当時私は入院していて、希望だとか夢だとか、そんな言葉が嫌いだった。

まど

長い廊下の向こう側は、病状が重い人たちがいると風の噂に聞いた。そこにいたのは車椅子に乗って、いつも笑顔のYちゃんだった。彼女は絵が上手くてユーモアがある素敵な女性だった。Yちゃんと私はすぐに仲良くなった。


「じゅんぴー」

私は「じゅんぴー」と呼ばれた。私はYちゃんを「Yぴー」と呼んだ。私たちの朝の日課は「Yぴー、おはよう、いえーい!」「じゅんぴー、おはよう、いえーい!」と挨拶をすることだった。


彼女は明るかった。そんな彼女に、私の暗闇を打ち明けたのは入院して2ヶ月が経ったある夜のことだった。


「あたしね、今ね、家にお父さん手作りの手すりを作ってもらってるの。リハビリ頑張るんだー!」


「Yぴーにはお父さんがいて、いいな……」


私の一言が響いた。


「私のお父さんは、死んじゃった。私が6歳の時、1人で勝手に死んじゃった。私、お父さんに会いたい」

涙が溢れた。止まらない。そうか、私お父さんに会いたいんだ、お父さんに触れたいんだ。私の中のお父さんは永遠に36歳のままで、私はそれが辛かった。一緒に泣いたり笑ったり、悲しんだり、楽しいこといっぱいしたかったのに。なんでお父さん、勝手に死んだの?


Yぴーは、冷たい私の手を取り、

「じゅんぴーのお父さんは、生きてるよ」

「は?死んだんだよ、お父さんは死んだんだよ!」そう泣きながら言う私をなだめるように


「お父さんは、生きてる。じゅんぴーの半分はお父さんで出来ているんだよ。それから、じゅんぴーの心の中でも、お父さんは生きている」

手

Yぴーの言葉が、私の心に響いた。私の涙はあたたかいものに変わった。



「お父さんは、生きている」



サポートしてくれたお金(貴方からの愛)は、銅像の制作費としてコツコツ貯めます。 優しい貴方には「じゅんこ3、本当に銅像になったよ、こりゃビックリだ会」にお招き致しますので、楽しみにお待ちくださいませ。尚、石像になる、ブロンズ像になる等、内容が大幅に変更になる場合もございます。