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一時帰国の感情

日本に12月末に一時帰国をした。それまでに抱いた気持ちや到着した時の気持ちは様々だ。

帰国前

実際飛行機のチケットを予約したのは10月の終わりだった。この時僕は当時の現状に満足できず、不満と失望がかなり大きく(すでに消えているわけではない)、早く帰りたい、日本食を食べたい、という気持ちと、航空券の値段高騰に対する焦りからチケットを取ってしまった。

いつも生活や人生のアドバイスをくれる母からはもう少し頑張れ、一時帰国するくらいなら本帰国を早めなさい、と言われ続けていた。実際母はベルギーに7年父の仕事の関係で住んでいたが帰国したのは3回だけだった。またコペンハーゲン大学に留学している友達で一時帰国をする予定の人を見た事がなかった。

これらのことから、"一時帰国する人は弱い人だ、留学を楽しめていない人" という考えを持ってしまった。

だから航空券を取った瞬間から不甲斐なさが蓄積するようになった。自分は帰っていいのだろうか、と。そのため帰国することも帰国の直前まで親に隠していた。せっかく僕にお金と機会を与えて、僕が楽しむだろうと思って、留学に行かせてくれているのに、帰ってしまう事がとても申し訳なかったからだ。

ただやはり日本に帰ることはとてつもなく楽しみだった。留学開始から帰国までに11カ国を旅行で訪れたが、正直今までのどの旅行よりも日本の帰国を楽しみにしていた。

帰国

帰国の直前に超高級な自転車を盗まれてしまい気分もかなり下がっていた。直前に親に帰国することを報告すると、優しく受け入れてくれた。辛かったことを理解してくれたし、いつでも相談しろと、日本に一時的にいる間美味しい日本食を食べて、友達と会って気を休めなさい、と言ってくれた。優しい両親に感謝しつつ申し訳なさも相まった。

到着

到着をすると非常に複雑な気持ちに押しつぶされた。
楽しみに帰ってきたのだが、それと同時に、なにか
"ここにいるべきはずではない感じ"が僕の周りを取り囲んだ.

同大学の2セメスター留学の生徒はほとんど一時帰国などせず、冬休みはコペンハーゲンに留まる、もしくはヨーロッパなどを旅行する。

僕もそうあるべきはずなのに、今は東京にいる。

自分がもっと強くあれたなら、コペンハーゲンに留まったままで、このような感情に付き纏われることはなかったのだろう。

一時帰国5日ほど前に自転車を盗まれた。
インターン先の上司に借りていた超高級なものだ。
保険で効く金額を優に超えている上に、警察署の盗難届が受理されず保険は効かない。

盗まれたのに、なにのうのうと日本に帰って、そのあともまた旅行に行くんだ。自転車を盗まれたならその分働かないといけないのに、なにをしてるんだ、という気持ちに襲われ始めた。

これらの、

・いるべきはずの場所におらず、いるべきでない場所にいるというジレンマのような感情と、
・働くべきと分かっていて、先に立てた予定に拘束され十分に働けないという歯痒い感情に加え、
・遠い未来だと思っていた東京に帰ってきてしまい、もう少し後に楽しみに置いておきたかった、という気持ち

が重なり、空港に着陸した時はとてもモヤモヤとした、晴れない気持ちだった。

"ここにいるべきはずではない感覚"が僕を圧し殺した。

しばらくして

しばらく彼女や友人らと過ごして先ほどの感情はほぼ忘れかけていた。しかし消えたわけではない。

到着して大学のキャンパスに行き友達に会った時や、京都に行き、毎年年末に行く東本願寺を訪れた時、梅田の阪急百貨店に入った時。これらの光景はもう1年以上見ないという覚悟・認識の上にデンマークに来た。なのにさほど時を経たずして再び見ることになった。とても不思議な感覚だった。言葉ではとても言い表し難い。
この不思議な感覚が、幾度も"ここにいるはずではない、いるべきではない感覚"を呼び起こした。

日本を外から見る

デンマークで3ヶ月半ほど暮らした。留学でよく言われる”日本を外から見る”と言うセリフは非常に抽象的な表現だ。しばしば理由もない留学の際に使われるフレーズと言えるだろう。

しかし実際に留学に来て住んでみることで、日本を良く知る第三者の目線から、日本と他国を比較することができる、無意識にすることができるようになっている気がした(しかしながら、まだ3ヶ月なので浅はかだし、足りていない部分はかなりあるはず)。

比較した内容や結果、考察などは後にどこかに記せたらいいと思う。そのため今回は割愛させていただく。

両親との再開

そして両親と会うことになった。大阪に行き昼食を食べたのだ。正直不甲斐なさでいっぱいで顔は終始暗かったと思う。けれども両親はそのことを全く責めないどころか、しんどかったやろう、いっぱい美味しいもの食べや、と声をかけてくれた。心が涙でいっぱいになった。

昼食を食べている際、両親が駐在でベルギーに7年住んだ時の経験を語ってくれた。二人とも初めの正月は辛くて日本に帰国したこと、母親は7年で帰ったのは4回だけであったと言うこと、駐在に付き添った奥さんの中でも鬱になって帰国した人が何人かいると言うこと、など。いずれも自分の今の状況・環境に合わせて考えてみた(その考えはまだ浅い上に、まとまっていないためここでは割愛する)。

父は仕事の昼休みに1時間半ほど共にご飯を食べた後、母とカフェに行って1時間ほど話した。

帰国

両親と会ってから一週間ほど日本に滞在して帰国した。

正直二週間日本に滞在した後は残りの5ヶ月のコペンハーゲン滞在が楽しみだった。それは色々な目標を見つけることができたからだ。インターンの仕事に励んだり、英語の勉強に励んだり、韓国語の検定のために勉強したり、料理に挑戦したり、読書を楽しんだり、ピアノを練習したり。

しかしコペンハーゲンの空港に降り立った瞬間、5ヶ月間、日本に帰らずにここに住み続けることに恐怖を抱いた。もっとも9月の出国の時はもっと長い間コペンハーゲンにいることを覚悟しなければならなかったが、実感が湧いていなかったのであろう。

結局3ヶ月で日本に一時的に帰ったため、気が楽になった。一度リセットされたのだ。しかしこの先5ヶ月間もの間心はリセットされない。また旅行の頻度もかなり低くなる。加えて授業は前期より後期はかなりきつく履修登録をした。このままでやっていけるのか不安を感じた。どちらかと言うと不安に近い恐怖を感じたと言っても過言ではない。

まとめ

タイミングがいいことにコペンハーゲンに再び帰った日は大晦日で、新たな目標を新年の抱負として掲げる口実がある。今自分が持っている目標を今年2020年の抱負として努力してみようではないか、と心に気合いをいれたい。

2020年、踏ん張りの年になりそうだ。




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