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ほんとうは、ただただ愛でありたい

マインドフルネスで自分の中に起こることに
ただ気づいていく中で

ふと、幼なじみの女の子の顔が浮かびました。

幼稚園に通い始めてから、
その子が引っ越してしまう
小学校2年生までずっと一緒だった
(いまも連絡をとっています^ ^)

小さな頃から、
とても優しくて思いやりに溢れた
本当に素敵な子でした

とにかく私にないものを持っているんです。

マインドフルネスで
幼少期のその子をただ眺めていると

なんとなく胸がキュっと締め付けられました。


そしてそれはなんだろう?
と、ただ観察をしていました。

そうすると、その胸のキュッは
その子を傷つけたっていう
わたしの後悔からくる、なんともいえない切なさでした。

わたしは子どものころから気が強かったと思うので
その子にキツい言い方したことがあったり
自分の思うように仕向けるようにふるまったりして…

幼いが故の傍若無人さみたいなものですが
その子はそういうのはあまり無かったような気がして。

その子が引っ越してからかもしれません、その子はいつもどんなときも優しいんだってことに気づいて
わたしの性格はきつい。わたしばっかりが相手を傷つけるばっかりだったかもしれないって
そんな自分であったことに、心を痛めたことがあったんだ。

そしてそのこともジャッジせずに
ただただ眺めていると

ほんとうはどんな人も、

誰かを傷つけたいわけじゃなくて
その時はコミュニケーションをそれしか知らなかったり
分かって欲しいことを伝えたいだけだったり
そんなつもりじゃなくても悪意のようにとられたり

ほんとうは自分も愛して、相手も愛したいだけなのに

どうもうまく行動にうつせなかったり

してるんだなぁ

って。


みんな、愛でありたいだけなんだ、ほんとうは。


ということに、ただ気づいてる
そんな時間になりました。


自分もありのまま
誰かもありのまま
そして、ただ一緒にいるだけ

何もしようとしないで
相手の存在から出てくる何かを受け取りながら
ただ、お互いにそれを味わいながら、共にいるだけ

それができたときに、
わたしたちは「愛」でしかなくなる

と最近そんなことを感じています。

そう簡単にできることじゃないけど
だけど、その在り方をずっと探求していくのが
これからのわたしの人生なんだって

いや、わたしだけじゃなくて
みんなそうやって存在してるんだなって

ただ、いまわたしが学んでいるセラピーが、そこにいちばん近いのかもしれないって

そんなことを感じている今日このごろです。








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